『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.788

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是こだ和田り首也とて、互に奪合けれは、清秀是を見て、今日の門出よし, に池田方の諸將いはく、敵小勢にて平場へ出張す、後詰伏兵有と見へた, 賀守云、池田勢六七人ニ味方一人宛こては心易しとて、茨木佐渡守を先, と數度雄をあらそふ、此とた清秀、勝政に與す、勝政、信長乃命こよりて、路, 手とし、郡兵太夫、十河杭之介ニ鐵炮百挺さし添て、白井河原に押出す、時, の外大軍とり、其上人數の立樣方便心許なし、今日の軍必無用也と云、伊, 五百貫の所其賞に可與と也、時于清秀、諸軍勢の中より唯一人進出て、左, つて懷中に納む、出陣の朝秀政五歳、秀成三歳、奧にてはり枕をあらそひ、, 頭に札を立、其文に云、若和田り首をとる者あらは、攝州の内くれはとい, 右に揖して云、明日の合戰こ我一陣に進み、和田を可討取とて、則札をと, 刻に、池田勢三千の人數を押出し、郡山に登り、馬塚に東向に陣とる、和田, 伊賀守は、茨木の城主佐渡守をかたらひ、千餘の人數にて、糠塚に登り、西, 向に備をかたむ、和田伊賀守家老郡兵太夫、和田に云けるは、池田勢思ひ, とて、心よく酒數盃をかたふけ、入興ありけると云り、八月廿八日、卯辰の, り、今日の合戰遠慮有へしと云、其とき清秀云、敵の機を察するに、和田は, 元龜二年八月二十八日, 七八八

  • 元龜二年八月二十八日

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  • 七八八

注記 (17)

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