『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.220

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とも、この事はもうしおたり、薩摩の方も、近年鹿兒島の骨董屋西村作兵衞, 聞は、其事はさやうに云傳ふる家々今も在といへり、, 其餘の諸士は、姓氏を替て家中と成て、今も十餘家有と也、この事も、西村に, 島の山中にて終られしと聞ゆ、城下にも秀頼の屋敷なりしと云所一二有, に、豐前の椎田八屋抔云邊に着岸なるへくおもはるゝよし、正く聞所なれ, 草を燒て耕作して、妻を得子をまうけ、其子孫おひ〳〵に繁茂して、今此白, 草一里十七八家となれりとて、其系圖をも見たるに、熊本侯の細川とは、其, と云人、度々來るに問へとも、明にはいはす、凡にいふ也、其趣を察るに、鹿兒, 書たる物に、秀頼薩摩に往て後、谷口と云山中城下より四里許なる所に住, 山と云所に住れしかは、しか云よし、肥後熊本の臣齋藤權之助と云ふ士の, 則自分の屋敷にも一所有といへり、秀頼大酒にて常に城下に來りて酒を, て、其子孫今も二軒に成て、木下善兵衞、木下喜兵衞と云と記せり、眞田、木村, 呑、醉ては人の軒の下に寢、掃ための上抔にも寢たり、此故に今も常に大酒, 系異にて、同家にはあらす、扨も秀頼山國谷には、いつれより來るしかと云, し、大醉にいたり、狂人の如くなる者を、彼地の諺に、谷口醉黨と云は、秀頼谷, 秀頼亂醉, 孫〓摩谷, 送ル, シテ日ヲ, 秀頼ノ子, 口二住ス, 元和元年五月八日, 二二〇

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  • 秀頼亂醉
  • 孫〓摩谷
  • 送ル
  • シテ日ヲ
  • 秀頼ノ子
  • 口二住ス

  • 元和元年五月八日

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  • 二二〇

注記 (23)

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