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野にて御供の中、後藤其外の面々にいとまを賜ひ、眞田、木村等十四人とか, 行衞しれすと正く記たり、此年代記いと〳〵古きものと見へて、奈良朝あ, たりには終に見ぬ年號いくつも有、これは其昔西國のみにて用し年號の, ゝには傳なたれとも、却て遠き肥前の平戸の家中某に、隈町の鍋屋惣兵衞, 其始終は、かの士、日田には大川有て廣き野有やと問に、有と答き、又其川の, り歸り、一人朝鮮の親兄弟死てなしと聞で、歸りて何かせんとて、平戸に居, 邊に今市と云所有やと問に、則其野を今市川原と云と答て、いかにして問, 召つれられし、其三人もいとまを賜ひて、平戸に來りて、二人は早く便船よ, と云し人、今より四十年許以前、大坂より京都へ登る夜船の中にて聞し也、, 湧憧品と云有、其中に秀頼薩摩に落往しと云事をのせたるよし、備前の儒, 臣湯淺常山の常山紀談に見へたり、しかるに秀頼公こゝを通られし事こ, 人、豐後の日田と云に來りて、大川をりたりて、廣き野の有所を今市と云、其, よし也、手跡も甚古く見ゆ、其紙に追々書續たるものと見ゆ、又明末の書に, たるか、我祖父抔か幼少の時まて存命せしに、この薩摩落の物たりをさす, はれ候やと尋しに、されは其事は秀頼公薩摩落の時、御供に有し朝鮮人三, 日田ヲ過, 秀頼豐後, ギテ薩摩, ニ赴ク, 元和元年五月八日, 二一八
頭注
- 日田ヲ過
- 秀頼豐後
- ギテ薩摩
- ニ赴ク
柱
- 元和元年五月八日
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- 二一八
注記 (21)
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