『大日本史料』 6編 12 貞和4年10月~貞和5年10月 p.983

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下り給ひしかとも、將軍は其事はしらておはせし處に、鞆を落給ひし後、師, 朝臣に、御出家あるへきよし、仰下されしことは、師直か此朝臣を討たてま, つるへきよし、申觸たりし後の事にて、直冬朝臣は、其をりはやく九國へ落, 此朝臣も、父の仰なれはとて、をめをめと出家して、手をつかねて歸京し給, ふへきにあらされは、其はかりは一向に謀反の事にして、討たてまつるへ, 直か討奉れと觸たりし〓はおしかくして、此朝臣の都の騷動を聞給ひて、, なるへし、それ故將軍よりは、出家して歸京すへきよし、仰下されたるにて、, きとの心にて、ま〓に將軍の御内書も、師直か望申て、かゝせまうしゝにて、, く、いまたたしろに肥後に下り付給ひし事、しれさりしと見えたり、また此, りしあとも、件の將軍の御直書、師直か状なとに、其よしの見えさるは、都に, 出家の事を嫌ひ給ひて、九國へのかれ給ひしにはあるへからす、もとより, 〓の身に及はんをを恐れく、みつから九國へのかれ給ひしやうに申たる, は此朝臣の事、鞆より船にて、西國のかたへのかれ給ひしといふ事計聞え, 〔征西將軍宮譜〕八さて直冬朝臣、かく當月, 〔參考〕, の半過に、肥後には著あ, 南朝正平四年北朝。貞和五年九月二十八日, ○九, 月, 直ノ書状, 尊氏ノ手, 書及ビ師, 二ツキテ, ノ考, 南朝正平四年北朝。貞和五年九月二十八日, 九八三

割注

  • ○九

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  • 直ノ書状
  • 尊氏ノ手
  • 書及ビ師
  • 二ツキテ
  • ノ考

  • 南朝正平四年北朝。貞和五年九月二十八日

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  • 九八三

注記 (26)

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