『大日本史料』 7編 25 応永23年8月~同年雑載 p.170

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六郎高貞なり、, 三年八月、相國寺供養の日隨會を勤む、唐紅の鎧に紅の直垂をき、綱切の刀をはき、, 備中守源滿高は、源三秀義より六代、左衞門尉氏頼か子なり、, 公の命にて、高經をは六角の亨を追出さしむ、, 白鞍置て鵠毛の馬に乘、〓副は楢崎太郎左衞門尉高行、張替役は蒲生六郎左衞門尉貞, 應永元年九月、日吉社參の供奉し、, 其後元服し、備中守に任す、明徳, 族京極四郎左衞門高經後見して在しか、非法の扱ともありとて、永和三年八月、義滿, く程もなく、兄の義信も貞治四年身まかりしかは、滿高幼にして家繼、, 幼名を龜壽丸といふ、應安三年父氏頼入道卒し、い, 行・儀俄左京亮氏秀、敷皮役は多賀五郎左衞門尉康貞・目賀田次郎左衞門尉慈遠・伊庭, 同八年また同社の供奉し、, 永二十三年十月七日, 廿三年十一月十一日卒す、年三十八、法名, 供養記、二十五日條參看, し、京極に住せしをもて京極と稱せしなり、, 住せしゆへ六角と稱し、氏信は北方五郡を領, 十一日條參看、, 三代記、十五, 三代, ○應永元年九月, 歳以前といふ, 相國寺○明徳三年八月, 系圖を案に、宇多天皇子一品, 式部卿敦實親王、承平六年源, 方に降り、出仕をとゝめられ、子氏頼に家繼しむ、氏頼かねて遁世の志ありて、世務をいとふかゆへに、氏信の子, 高氏は、專ら近江國務を沙汰し、尊氏・義詮二代に歴事し、威權當時に於て比するものなし、これより嫡家の六角, は衰微し、支庶の京極はかへりて盛赫に成行しなり、又近江十八郡の内にて、泰綱は南方八郡を領し、京の六角に, 庫介經方、其子式部大輔爲俊、その子源三秀義はしめて佐々木を稱し、六條判官爲義に養はれ、保元平治の亂に左, 康富○應永八年五月, 姓を給り、其子一條左府雅信公の三男兵庫頭成頼、近江國蒲生郡佐々木の庄に住し、成頼か子兵部大輔章經、其子兵, 是を六角の祖とす、四男近江守氏信、これを京極の祖とす、泰綱か子近江守時信、元弘の亂に六波羅に屬し、後宮, 記、十三日條參看、, 守信綱、承久三年六月宇治川の先陣し、叔父高綱か高名をつき、北條泰時か爲に賞せらる、信綱か次男壹岐守泰綱, 馬頭義朝に屬し、軍功を顯はし、後又鎌倉右大將家に從ひ、數多の戰功あり、秀義嫡男左衞門尉定綱、その子近江, 記、, 記、, 康富, 相國寺, ヲ繼ギ京極, 幼ニシテ家, 幼名龜壽丸, 高經ニ後見, セラル, 一七〇

割注

  • 供養記、二十五日條參看
  • し、京極に住せしをもて京極と稱せしなり、
  • 住せしゆへ六角と稱し、氏信は北方五郡を領
  • 十一日條參看、
  • 三代記、十五
  • 三代
  • ○應永元年九月
  • 歳以前といふ
  • 相國寺○明徳三年八月
  • 系圖を案に、宇多天皇子一品
  • 式部卿敦實親王、承平六年源
  • 方に降り、出仕をとゝめられ、子氏頼に家繼しむ、氏頼かねて遁世の志ありて、世務をいとふかゆへに、氏信の子
  • 高氏は、專ら近江國務を沙汰し、尊氏・義詮二代に歴事し、威權當時に於て比するものなし、これより嫡家の六角
  • は衰微し、支庶の京極はかへりて盛赫に成行しなり、又近江十八郡の内にて、泰綱は南方八郡を領し、京の六角に
  • 庫介經方、其子式部大輔爲俊、その子源三秀義はしめて佐々木を稱し、六條判官爲義に養はれ、保元平治の亂に左
  • 康富○應永八年五月
  • 姓を給り、其子一條左府雅信公の三男兵庫頭成頼、近江國蒲生郡佐々木の庄に住し、成頼か子兵部大輔章經、其子兵
  • 是を六角の祖とす、四男近江守氏信、これを京極の祖とす、泰綱か子近江守時信、元弘の亂に六波羅に屬し、後宮
  • 記、十三日條參看、
  • 守信綱、承久三年六月宇治川の先陣し、叔父高綱か高名をつき、北條泰時か爲に賞せらる、信綱か次男壹岐守泰綱
  • 馬頭義朝に屬し、軍功を顯はし、後又鎌倉右大將家に從ひ、數多の戰功あり、秀義嫡男左衞門尉定綱、その子近江
  • 記、
  • 康富
  • 相國寺

頭注

  • ヲ繼ギ京極
  • 幼ニシテ家
  • 幼名龜壽丸
  • 高經ニ後見
  • セラル

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  • 一七〇

注記 (45)

  • 328,692,53,373六郎高貞なり、
  • 708,695,63,2141三年八月、相國寺供養の日隨會を勤む、唐紅の鎧に紅の直垂をき、綱切の刀をはき、
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  • 836,690,61,1163公の命にて、高經をは六角の亨を追出さしむ、
  • 581,691,59,2184白鞍置て鵠毛の馬に乘、〓副は楢崎太郎左衞門尉高行、張替役は蒲生六郎左衞門尉貞
  • 327,1627,59,922應永元年九月、日吉社參の供奉し、
  • 839,1980,59,894其後元服し、備中守に任す、明徳
  • 962,684,62,2192族京極四郎左衞門高經後見して在しか、非法の扱ともありとて、永和三年八月、義滿
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  • 198,690,59,655同八年また同社の供奉し、
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