『大日本史料』 6編 33 応安3年是歳~応安4年3月 p.299

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る、, く、尊氏公進んて鎌倉に入らる、時氏も此ときに尊氏公に屬して戰功あり、鎌倉に入, 〓建武二年乙亥七月に、北條相模次郎時行、, の時に至りて、志を立るの計なくはあるへからすと談せらるといへとも、衆口まち, て、源家一方の嫡流たるに、中世よりして、北條家の附屬の如くになりゆけり、今, きや、只思召立給へと有けれは、衆議一決して、鎌倉を進發あり、四月十六日に、, を恣にして、滅亡年を經へからす、此時に家を興されすんは、何のときを待給ふへ, 京都に著き、同十七日に、海老名六郎季行を密に伯耆國船の上に遣はして、北條か, 亡の餘類を集て、關東に旗をあく、天皇、足利尊氏公に勅ありて、是を征伐あり、同, 〳〵にして、一決しかたし、時氏進て曰く、今北條家の躰を見るに、彼氏族等奢り, 八月二日、京都を進發して參河國に至り、北條時行か勢と戰はる、時行破れて引浪, るの日、時氏小荷駄を纒て後殿たり、同十一月十一日に竹下におゐて、大に戰功あ, 一族を追討の綸旨を乞受らる、海老名六郎は此時の賞として、備中國井原庄を賜は, 色・荒川・石堂・澁川・高・上杉等の一族を集て、我賤しくも足利一家の棟梁とし, 其叔父北條刑部少輔時興と共に、先, 二男也、, 高時か, 高氏ノ歸順, 尊氏ニ從ヒ, ニ同意ス, ヲ討ソ, テ北條時行, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 二九九

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  • 二男也、
  • 高時か

頭注

  • 高氏ノ歸順
  • 尊氏ニ從ヒ
  • ニ同意ス
  • ヲ討ソ
  • テ北條時行

  • 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日

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  • 二九九

注記 (24)

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