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字を賜り、教豐と名つけらる、, 大智院と號す、葬地持豐におなし, 男にして、應永二十九年壬寅に誕生あり、少名を小太郎といふ, 一、嘉吉元年辛酉六月に、父持豐に從ひ、播州に至り、赤松滿祐を攻て、自敵を, 教豐は司職たねによりて在京なり、, 一、享徳三年甲戌十月八日に、父持豐京都を退て、領國但馬に蟄居あり、時に, 一、康正元年乙亥に、關東におゐて里見、世良田、一色、石堂等野心をおこし、叛, 一、永享三年辛亥正月に、十歳にして將軍義教公の御前にして元服あり、一, 一、寶徳二年庚午の春、父持豐職を辭せらる、將軍家、則教豐を以て司職に命, 討取て高名あ利, 應仁元年九月九日卒す、年四十六、梅布玄嶺, 政豐實は持豐か四男、教豐か嗣となる、應仁元年八月、はしめて慈照院義, せらる、, 字をあたへらる、, 教豐は右衞門督持豐の嫡, 山名家譜〕三教豐, 政にまみえ、舊例のことく元服し、諱字をたまふ、, ), ○京都南禪〓, 寺中眞乘院, 彈正少弼、從五位下, 或は梅, 但馬, 南宗嶺, 十歳, 伊豫守、從四位下、, に作, 村岡, る、, 時な, 教豐ノ事, 滿祐ヲ攻, 從ヒ赤松, 父持豐二, 政豐, リテ司職, 持豐ニ代, 蹟, トナル, 法號, 應仁元年九月九日, 三九七, 法號
割注
- ○京都南禪〓
- 寺中眞乘院
- 彈正少弼、從五位下
- 或は梅
- 但馬
- 南宗嶺
- 十歳
- 伊豫守、從四位下、
- に作
- 村岡
- る、
- 時な
頭注
- 教豐ノ事
- 滿祐ヲ攻
- 從ヒ赤松
- 父持豐二
- 政豐
- リテ司職
- 持豐ニ代
- 蹟
- トナル
- 法號
柱
- 應仁元年九月九日
ノンブル
- 三九七
- 法號
注記 (43)
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