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智院殿と號す、, あり、教豐司職たるによりて、是を沙汰せらる、, 政豐と名つく、, に、教豐陣頭に進み戰れけるを、細川方より遠矢に教豐を射て取らんと, 逆を企て討伐せられ、四人の首京都に登り、室町御所乃四足門にて實檢, 一、應仁元年丁亥四月に、父持豐、細川勝元と合戰に及ふの時に、教豐次將と, 矢を放事數多なり、教豐流矢に左の股を射させたれとも、不日に平愈し, て、後に所々の軍に戰功あり、, なりて、一族家人を進退し、諸軍を整へて戰功あり、同五月廿六日の合戰, を小次郎といふ、將軍義政公の御前におゐて元服あり、一字を賜はりて, 輔豐詮、次は女子、一色修理大夫義春の室なり、, 四十六歳なり、南禪寺の塔頭眞乘院に葬る、法名梅南、道號玄嶺, 政豐は伊豫守教豐の嫡男にして、少名, 一、同年八月に、教豐病にかゝり、同九月九日に、陣中におゐて卒す、時に行年, 政豐, 教豐に二男一女あり、嫡男き右衞門督政豐、正統相續なり、二男兵部少, 大, 應仁元年九月九日, 彈正少弼、從五位下、左衞門佐、, ○四月ノ戰、他, ○此事他二, 從四位下、右衞門督、正四位下, 書二見エズ、, 宗嶺, 所見ナシ, 一に曰, 應仁ノ役, 教豐次將, トナル, 政豐, 應仁元年九月九日, 三九八
割注
- 彈正少弼、從五位下、左衞門佐、
- ○四月ノ戰、他
- ○此事他二
- 從四位下、右衞門督、正四位下
- 書二見エズ、
- 宗嶺
- 所見ナシ
- 一に曰
頭注
- 應仁ノ役
- 教豐次將
- トナル
- 政豐
柱
- 應仁元年九月九日
ノンブル
- 三九八
注記 (32)
- 836,832,52,400智院殿と號す、
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