『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.127

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

きにあたりて、光教か妻子大坂に在、石田三成搜し索むる事急なるによ, 八月十六日、東照宮より御書を〓まひ、近日御出馬ある〓き旨を諭さる, 正則等と謀りす、敵の形勢を窺ひ、書を以て井伊直政につく、これにより, 野國小山に至らせたたふの處、三成〓逆の告あるにより、また軍を囘し, を催して關東に發向す、吉隆これを忿りて、光教か領地を燒拂ふ、このと, り、郎從等これを具して京都にいたる、近衞信尹公、曾て光教に所縁ある, たたふ、このとき光教等台雄に先たち、尾張國清洲に至る、已にして福島, 恩顧を蒙り、兩御所伏見イ渡御のとよ、光教か藤森の亭に入せたまふ、慶, 岐阜の城攻には、福島正則及ひ光教は、彼地案内なるにより、先鋒となり、, 二十二日、萩原の渡りを越、二十三日本丸をせむ、この事井伊直政、本多忠, 塚因幡爲廣を以て、東國に下向の事を止むといへとも、其夜ひそかに兵, 坂を發し、所領美濃國曾根に至る、時に大谷吉隆すてに垂井まて來り、平, により、ぬかく隱したまひしかは、其難を免かるゝ事を得たり、東照宮下, 長五年、東照宮、上杉景勝御征伐のときしたかひたるまつらんかため、大, 後、豐臣太閤につかへ、從五位下豐後守に敍任す、乃ち東照宮、台徳院殿の, 元和元年十一月十九日, 石田三成, 戰功, 征伐ニ從, 子ヲ捜索, 光教ノ妻, 家康秀忠, ニ仕フ, コレヲ庇, 近衞信尹, 上杉景〓, 岐阜城ノ, 護ス, 秀吉ニ仕, ス、, 一二七

頭注

  • 石田三成
  • 戰功
  • 征伐ニ從
  • 子ヲ捜索
  • 光教ノ妻
  • 家康秀忠
  • ニ仕フ
  • コレヲ庇
  • 近衞信尹
  • 上杉景〓
  • 岐阜城ノ
  • 護ス
  • 秀吉ニ仕
  • ス、

ノンブル

  • 一二七

注記 (31)

  • 1250,702,73,2148きにあたりて、光教か妻子大坂に在、石田三成搜し索むる事急なるによ
  • 547,688,75,2169八月十六日、東照宮より御書を〓まひ、近日御出馬ある〓き旨を諭さる
  • 668,689,72,2161正則等と謀りす、敵の形勢を窺ひ、書を以て井伊直政につく、これにより
  • 898,695,76,2156野國小山に至らせたたふの處、三成〓逆の告あるにより、また軍を囘し
  • 1366,701,78,2153を催して關東に發向す、吉隆これを忿りて、光教か領地を燒拂ふ、このと
  • 1131,702,79,2146り、郎從等これを具して京都にいたる、近衞信尹公、曾て光教に所縁ある
  • 782,691,72,2160たたふ、このとき光教等台雄に先たち、尾張國清洲に至る、已にして福島
  • 1836,708,79,2149恩顧を蒙り、兩御所伏見イ渡御のとよ、光教か藤森の亭に入せたまふ、慶
  • 434,685,71,2175岐阜の城攻には、福島正則及ひ光教は、彼地案内なるにより、先鋒となり、
  • 311,688,73,2157二十二日、萩原の渡りを越、二十三日本丸をせむ、この事井伊直政、本多忠
  • 1485,700,80,2157塚因幡爲廣を以て、東國に下向の事を止むといへとも、其夜ひそかに兵
  • 1598,703,80,2154坂を發し、所領美濃國曾根に至る、時に大谷吉隆すてに垂井まて來り、平
  • 1014,706,77,2145により、ぬかく隱したまひしかは、其難を免かるゝ事を得たり、東照宮下
  • 1717,707,80,2151長五年、東照宮、上杉景勝御征伐のときしたかひたるまつらんかため、大
  • 1951,712,80,2140後、豐臣太閤につかへ、從五位下豐後守に敍任す、乃ち東照宮、台徳院殿の
  • 225,693,44,421元和元年十一月十九日
  • 1307,256,40,169石田三成
  • 409,240,41,86戰功
  • 1732,260,43,170征伐ニ從
  • 1217,253,44,172子ヲ捜索
  • 1262,254,43,172光教ノ妻
  • 1892,262,42,172家康秀忠
  • 1848,272,40,109ニ仕フ
  • 1044,259,41,161コレヲ庇
  • 1088,251,42,167近衞信尹
  • 1778,265,40,169上杉景〓
  • 454,241,41,164岐阜城ノ
  • 999,248,41,79護ス
  • 2009,263,44,175秀吉ニ仕
  • 1182,256,30,31ス、
  • 209,2442,41,109一二七

類似アイテム