『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.130

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なるへし、系譜のしるす所に異なり、いふかし、, にしたかひて、又即臣家につかふ, て、もとは籾井と名のれり、光秀本國を去て三河國西尾に住しけれは、西, 尾とは名のれるなり、其子信光美濃國野口にうつりて、光教か時に至る、, 住人籾井越後守藤原光長か男に家ゆつる、出雲守信光是なり、光教父につ, し、氏家常陸介入道ト全か被官たり、氏家織田殿にしたかひしによつて、, て曾根の侍從と云ひし、其頃は光教曾根の城にはあらし、野口を領せし, へて、つかに曾根の城に住す、男子なかりしによつて、外孫なれは、丹波國の, 光教揖斐の城にうつる、初は西尾小六郎と申して、野口三千貫の地を領, 或記に、光教か祖父兵庫頭光秀、もとは丹波の國の守護波多野か被官に, 萬石の地給ひしといふ、按するに、中頃稻葉彦六郎貞通、曾根の城にあり, 小六郎も信長につかへて、與三左衞門と申す、信長より恩かうふりて、二, 慶長五年の秋、東西の軍一時に起る、光教はしめより徳川殿にしたかつて, きて當國の守護齋藤山城守利三につかふ、齋藤か家ほろひてのち、織田殿, 東國にあり、關東の御方として、急き本國に馳せ歸り、おのか城に籠る、大坂, 元和元年十一月十九日, 系譜に, 出づ、, 元和元年十一月十九日, 一三〇

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