『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.131

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光教勳功の賞賜る, につねに參る者なれは、彼御所に深く隱させ給ひしに依て、希有にして逃, れぬ、かくて光教、遠藤、金森等と郡上の城を攻め、徳川殿美濃國に攻入給ひ, 水野六左衞門尉勝成に牒し合て、おのか曾根の陣を打たち、大枋に向ふ、味, に、かたき散々に防き戰ひし程に、寄手うたれ、手負ふ者少からす、其夜は城, して、慶長十三年五月六日、父に先立て世を早うしぬ、外孫やしなふて世嗣, からぬ事なりとて、都に在りし光教か妻を取て質とせんとす、此妻近衞殿, れは元和二年十一月十九日、七十三歳にて卒す、息男信濃守教次、年廿一に, 高橋等、心變りしてけれは、城の大將等討たれて、城遂に落ちぬ、同を十一月、, 大坂前後の戰に從ひ、首切て獻る、明, 方の人々互に先を爭つて進む、光教か勢既に追手を攻やふらんとせし所, のほとりに陣取つて明るを待つ、勝成謀を運し、城中に籠つたる相良、秋月, を留め置き候ひぬ、一攻せめて御覽あるへうもや候と申す、光教大に悦て、, し後、光教仰を承わりて、大枋の城に向ふ、九月十五日の朝、安八郡須賀村の, の奉行等使立てゝ、味方仕るへき由を云はせけれとも、光教更に隨はす安, 光教か陣に來て、ゆふへ石田等大枋を去て、城には僅の兵, 侍, 久瀬助兵衞と, 一萬石を加へ給て、, いし者なり, 二萬石を領したり、, 大垣城ノ, 戰, 元和元年十一月十九日, 一三一

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  • 久瀬助兵衞と
  • 一萬石を加へ給て、
  • いし者なり
  • 二萬石を領したり、

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  • 大垣城ノ

  • 元和元年十一月十九日

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  • 一三一

注記 (25)

  • 549,625,56,568光教勳功の賞賜る
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