『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 8 訳文編之3 弘冶1年11月~永禄2年11月 p.45

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この異教徒の闇を次第に照らして行くべく、当地の私達に力を授け給わんことを祈りました。, た謀反のためで、私達が到着する数日前、すなわち一箇月前に、国王は他の謀反をもくろんだ, 後、私達は〔この〕地に留まって、主が彼を運び給うこと、並びに主の栄光ある十字架の旗が, 数名の大身(○小原鑑元、本庄新左衛門尉、中村長直等。弘治二年五月に謀反を企てたものの, 説教、その他の秘跡は早速続けられました。当地が大いに動揺していたのは、密かに企てられ, るよう、要塞のような島(○丹生島。後に臼杵城と呼ばれる。)に避難しました。従って、〔人, びとが〕キリスト教徒になることにも、また説教を聴くことにも至らなかったのは、これが原, 恐怖をもたらしました。というのも、もし国王が死ねば、私達とて死か、あるいは他の大いな, 因でした。また、このことは、キリスト教徒達には大きな動揺を与え、私達には少なからざる, 露見した。)を殺害させました。また、国王は非常に恐れ、己が身を保って安全に事をなし得, この時期、人びとは自らの救いのことを聴きに来ませんでしたが、従前行なっていたような, びと共に、栄光の中で相まみえることを期待しながら、別れました。そしてナウ船が出帆した, 情をもって、次回にはパードレとの別離によって感じた〔悲しみよりも〕、いっそう大きな喜, 年九月二十九日~十月二十九日)、日本を出発した。)が近づいたので、私達はお互いに深い愛, る苦難を免れず、その結果、霊魂においても、当王国(○豊後。)が静謐にして平安である時, を殺害せし, め丹生島に, 義鎮謀反人, 避難す, 四五

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  • を殺害せし
  • め丹生島に
  • 義鎮謀反人
  • 避難す

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  • 四五

注記 (20)

  • 1081,459,39,1711この異教徒の闇を次第に照らして行くべく、当地の私達に力を授け給わんことを祈りました。
  • 844,454,39,1741た謀反のためで、私達が到着する数日前、すなわち一箇月前に、国王は他の謀反をもくろんだ
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  • 764,455,41,1737数名の大身(○小原鑑元、本庄新左衛門尉、中村長直等。弘治二年五月に謀反を企てたものの
  • 923,455,40,1739説教、その他の秘跡は早速続けられました。当地が大いに動揺していたのは、密かに企てられ
  • 607,458,39,1738るよう、要塞のような島(○丹生島。後に臼杵城と呼ばれる。)に避難しました。従って、〔人
  • 528,456,39,1740びとが〕キリスト教徒になることにも、また説教を聴くことにも至らなかったのは、これが原
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  • 448,455,39,1739因でした。また、このことは、キリスト教徒達には大きな動揺を与え、私達には少なからざる
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