『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.129

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氏教實は木下大膳大夫某か三男、光教に養はれて別家となる、, 十三年五月六日、父にさきたちて卒す、年二十一, 豐後守源光教は、出雲守信光か子にて、兵庫頭光秀か孫, 天正十八年生れ、慶長五年、はしめて東照宮にまみえたてまつる、, 三、宗岳圓光常照院と號す、揖斐の松林寺に葬る、室は氏家常陸介ト全か, に屬し、元和元年遺領を繼、二萬五千石を領す、其後、光教か遺言によりて, 也けり、兵庫頭光秀、本國は三河のもの、美濃國にうつり、隣境をうちしたか, 曾て螺鈿の柄の御鎗を拜賜す、十一月十九日、駿府にをいて卒す、年七十, 十八年、從五位下出雲守に敍任す、十九年大坂の役に、父と共に忠明か手, 嘉教實は木下大膳大夫某か二男、母は教次におかし、光教か養子となる、, 先に織田右府よりあたへられし唐繪茄子の掛幅を東照宮に獻す、, おれしくこれを追うち、道明寺邊にをいて、郎從等首七級を得たり、光教, 教次實は木下大膳大夫某か長男、母は光教か女、光教か養子となる、慶長, 妹、, 藩翰譜, ○寛永諸, 家系圖傳, 一歳、, 時に十, 十二下, 西尾, 譜牒餘録、略譜共二異事ナシ、但シ寛, 永諸家系圖傳、光教卒年ヲ二年トス、, 河國ヨリ, 西尾氏三, テ卒ス, 出ヅ, 氏教, 駿府ニ於, 教次, 嘉教, 元和元年十一月十九日, 一二九

割注

  • ○寛永諸
  • 家系圖傳
  • 一歳、
  • 時に十
  • 十二下
  • 西尾
  • 譜牒餘録、略譜共二異事ナシ、但シ寛
  • 永諸家系圖傳、光教卒年ヲ二年トス、

頭注

  • 河國ヨリ
  • 西尾氏三
  • テ卒ス
  • 出ヅ
  • 氏教
  • 駿府ニ於
  • 教次
  • 嘉教

  • 元和元年十一月十九日

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  • 一二九

注記 (33)

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