『大日本史料』 8編 1 応仁元年正月~同2年7月 p.547

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百年に成申候、根ノ井と申侍、浪人分にて、矢島へ下り、地頭とてもなく、百, ともあまたあり、夫に付矢島五郎先祖義久は、是非に信州より下る、其節, は、萬事五郎か下知に隨ひ、軍塲へも出る、矢島にては、か樣申傳候、就去矢, 島と仁賀保、又は瀧澤、子吉、玉米、此四ケ所へ、矢島より軍取詰候へ共、十二, 姓共、我勝なる樣子見屆、信州へ登り、木曾義仲公之末葉小笠原大膳大夫, 家臣も付添下る、矢島の由來は、應安元己酉年より、應仁元丁亥年迄の内, 義久を連下り、矢島の地頭に立て、根ノ井も、矢島を三ツ一知行して、義久, 家臣筋に候へは、三歩一の知行も押取り、根ノ井舘より、米ノ澤へ押込、召, 義滿代にも、根ノ井をは、大切に仕候得共、滿安代には、元根ノ井は、木曾の, 羽陽由利郡ハ、鳥海山ノ北百五十里ニ有、〓, 宅、米ノ澤、上猿倉三ケ所、わづか計を知行させ置事、其隱れなく、五郎代に, を大將にして、居住仕る事僞り無、是段、古人とも申傳候、就夫義久代にも、, のよし、一統に申候、仁賀保殿籏大將と申なし、乍去、信濃より下り申證據, 頭の内にて、面々軍は一ツも無之候、, ソレヨリ以來, 由利十二黨事, 〔奧羽永慶軍記〕, 〔奧羽永慶軍記〕〓由利十二黨事, 中略、建武、觀應頃, 記事ニ係レリ、, 十, 八, ヲ信濃二, 根之井氏, 矢島義久, 迎フ, 應仁元年是歳, 五四七

割注

  • 中略、建武、觀應頃
  • 記事ニ係レリ、

頭注

  • ヲ信濃二
  • 根之井氏
  • 矢島義久
  • 迎フ

  • 應仁元年是歳

ノンブル

  • 五四七

注記 (28)

  • 1482,800,62,1979百年に成申候、根ノ井と申侍、浪人分にて、矢島へ下り、地頭とてもなく、百
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