『大日本史料』 8編 2 応仁2年8月~文明元年9月 p.77

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ニハ七代ノ祖也、, を言也, 條家と言、實經より十代妙華寺殿教房公の二男房家公、土佐へ下向有て、土, 佐一條殿と言て、國司に備り給ふ、土佐侍は、此御所にて下知につき、此房家, 經嗣公ヒソカニ御家人ニ仰テ、起居詞ツカヒ、衣食等ノ法式ヲ指南サセラ, テ、教房公御祖父經嗣ノ御舘ヘ立入シテ、元親田舍ニ住テ、萬無骨成ケレハ、, 奈良の古郷へと下向有, 公の嫡子を房道公と號、京一條殿冬良公と申て、逝去有て男子なたれは、房, 〔土佐軍記〕, 道公を養子にして、京一條殿の家をにく、其弟房冬と號す、土佐一條殿と是, 抑光明峯寺道家公と申は、九條殿御座す、道家公三男實經公より分れて一, レケル、厚恩七生マテ忘ルヘカラスト云、此備前守元親ヨリ、宮内少輔元親, 一條殿之系圖, 土佐軍記〕一土佐國守護職之事, 文明二年, 十二月廿七日、仙洞崩御ならを給ふ、後土御門院と申奉る、此時, 〓關白一條左大臣教房公也、此頃世上大亂と言、又天下諒闇なるによりて、, 土佐物語、一條家舊記等異事ナシ、, ○下文ハ、政房、兵庫ニ薨ズルヨト二カ, ヽル、文明元年十月十六日ノ條ニ收ム、, ○下文ハ、教房薨去ノコトニカヽル、, 上〇土佐國群書, 類從四十一所收, 寅, 庚, (前關白), 應仁二年九月六日, 七七

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  • 土佐物語、一條家舊記等異事ナシ、
  • ○下文ハ、政房、兵庫ニ薨ズルヨト二カ
  • ヽル、文明元年十月十六日ノ條ニ收ム、
  • ○下文ハ、教房薨去ノコトニカヽル、
  • 上〇土佐國群書
  • 類從四十一所收
  • (前關白)

  • 應仁二年九月六日

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  • 七七

注記 (28)

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