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忠文祿四年十二月廿三日ニ卒ス、法名宗仙寺喜山洞悦、, 應仁文明の間の人、熊野本宮之和田氏家藏判物あり、, 後守高忠像, す、豐後記とて名譽の批判せられたことをしるし置たる書物、法花經ほ, く願ひまてなり、抑この人は、後花園御治世の末、寛正年中の人なり、將軍, となる卷物五くりん、多賀の君に傳りこれ有る由承り及ひ候、拜見申度, この人上代にも末代にも有間敷公事の批判、なか〳〵そのかすを知ら, 一多賀豐後に所司代仰付られ候時に、女しやものに談合仕り、御返事申上, いへとも、たゝ女公事取次なと究めてと思ひ、右のことく申上た事しや、, ハ慈照院殿の御代の所司代なり、慈照院殿は普廣院殿の御子なり、, うといふた、尤しや、この女しやものに談合申すといふに説々おほしと, 〔寒川入道筆記〕落書附誹諧之事、, 當寺開基天江和尚、檀那多賀豐後守高忠、天江始武州, 三田海禪寺ニ住セリ、高忠敬信ノ故ニ當寺ヲ及建立、招請シテ令爲開祖、高, 〔白石先生紳書〕十多賀は中原氏也、高忠近江人、豐後守、從五位下、所司代、, 〔無名氏雜考〕多賀豐後守高忠多賀豐後守中原高忠は近江の人にして、, 文明十八年八月十七日, ○高忠ノ卒去年月、, 法號等全ク相違ス、, 餘、〇中略, 坐像三尺, 高忠ノ判, 代ヲ受ク, 豐後記, 妻ニ談合, ノ上所司, 物, 坐像, 文明十八年八月十七日, 九三六
割注
- ○高忠ノ卒去年月、
- 法號等全ク相違ス、
- 餘、〇中略
- 坐像三尺
頭注
- 高忠ノ判
- 代ヲ受ク
- 豐後記
- 妻ニ談合
- ノ上所司
- 物
- 坐像
柱
- 文明十八年八月十七日
ノンブル
- 九三六
注記 (30)
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