『大日本史料』 8編 22 長享2年5月~同年7月 p.184

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日、牢人の頭阿曾孫八郎・小杉新八郎先陣して、竹橋の邊迄來ルころおひ、河北の一揆, 也、救すんは有へからすとて、主人に此事を達し、手勢二千餘騎、江沼郡橘迄出張せし, りけれは、人々打寄評諚こ及ひ、越中礪波郡の人々は蓮沼こ寄合、夫より倶利伽羅山押, 上る、射水郡の者ともは、放生津に勢揃して、何れも加賀え打て入らんと、五月廿八九, の一揆共、湖水を小舟に乘越て、跡を取切んとそ押寄せる、能州勢是に恐れて、終に引, に、はや政親討死の事相知けれは、乍殘念軍を引返し、越前え歸らんとする所え、一揆, 爰に能州・越中の諸士、將軍家ゟ、富樫介政親に加勢すへきのよし、御教書を以下知あ, か、高橋新左衞門・笠間兵衞家次一揆の大將と成、濱の手ゟ向ひて合戰する所、河北郡, 返す、亦越前朝倉貞景の家臣堀江中務景用は、, 思ひきや老木の花はのこりツヽ若木ノ櫻まつ散んとは, 大勢、山々谷々より發起し、英田光濟寺大將と成、一戰に打勝、くりから山の麓黒坂邊, とも大勢付したひ、道々合戰してそ引取ける、, 迄追打にして引返す、其後能州畠山の家臣共、黒津舟・宮腰邊迄加勢として出張しける, 利仁將軍の後胤之て、富樫とは同家, 〔大谷本願寺由緒通鑑〕ニツイニ長享二年七月、多勢ノ御門徒金澤へ押寄、手レ, 下略, ○上, 一郎、, 始ノ名, 能登畠山義, 揆ノ爲ニ退, 統ノ部下政, 親ヲ援ケ, ケラル, 長享二年六月九日, 一八四

割注

  • 下略
  • ○上
  • 一郎、
  • 始ノ名

頭注

  • 能登畠山義
  • 揆ノ爲ニ退
  • 統ノ部下政
  • 親ヲ援ケ
  • ケラル

  • 長享二年六月九日

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  • 一八四

注記 (26)

  • 1295,629,61,2262日、牢人の頭阿曾孫八郎・小杉新八郎先陣して、竹橋の邊迄來ルころおひ、河北の一揆
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