『大日本史料』 10編 25 天正2年10月~同年是歳 p.83

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一むれ〳〵押つぐひて馳來といへとも、先勢ににげかゝられ、たまりもあへす一同に崩, るを、追懸〳〵河合迄追討にし、隱れ居たるをもさかし出して頸をきり、妻子等に至ま, ず、得て後より瞳と一度に崩たつ、若林か勢四方八面に追散せば、兼て約束の日なれは、, 揆の眞先に進ミ來る、廣瀬が馬の兩脚を切居、廣瀬馬と共にたおれしを、若林おさへて, 出、勝蓮花繩手へかけ向ふ、若林少もためらはず大勢の中を乘出し、馬よりおり立、一, とて、近邊の勢をかり催し、若林長門・野嶋兩人を頭とし、僅に二百餘騎、雜兵共に五, 頸を切る、一揆共是を見て、彼やうて是やたすけよと聲々に呼れとも、敢て進む事を得, の寺に集り、跡勢を待居たり、下間筑後是をきゝ、時刻移して叶まし、逆寄して打散せ, 百餘人、牛ケ嶋表に支へ、若林諸人に向ひ、此度の合戰に一足も退たらん者は、縱前々, 河合の郷の者とも、十九日寅の一天より卒爾に騷立て、豐原寺へと聲々に噂り、八重卷, も討るゝとも、乘越〳〵進へしと申付て押出せば、一揆都合三千餘人、八重卷の寺を打, の忠有とも本領を沒收すへし、又手柄たてして拔駈すへからず、互に力を合て、うつと, しと内談して、來る十九日、覺如上人の御名日を吉日として打立べしと申合たり、然ば, 同閏十月上旬より、一揆十七講のもの夜々寄合、遠方へも廻文せしめ、筑後法橋を討へ, 天正二年十月是月, 八三

  • 天正二年十月是月

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  • 八三

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