『大日本史料』 10編 25 天正2年10月~同年是歳 p.81

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たりける、, 中いかにも靜なりけるが、其後より〳〵談合し、はかりことを廻すを、頭中も諸坊主も, もなく番せさせ、若徒黨の族是あらは急度曲事たるべしと、筑後法橋高札を所々に出た, り、一揆共春より秋にいたるまて一日片時も休息せす、合戰に草伏て、百日ばかりは國, を極て、先諸坊主を討捕べしとそ決しける、然に本覺寺さかしく此義を聞出し、若も時, 事也、されは盆中といひ騷動といひ、在々所々に燒篝晴たる夜の星のことし、國中山野, 其外河北には河合の八杉、本庄の宗玄・淨玄以下、一日の間に六七人切殺し、其家家を, 此後坊主ともは、一揆今や寄來かと油斷なく機遣せしめ、櫓をあけ堀をほり、晝夜の境, 林兵衞北の庄へ行處を、喧嘩に事寄誅伐し、夫より殿下村・川端村所々へ押寄討捕ぬ、, 日を移しなは大事出來すへしとて、同七月十四日、盆參として十七講の者の内并志比の, 放火せしむ、坊主の身として日こそ多けれ、盆中に家をやき人を殺事、いまた聞さる珍, に能事はなきそ、げすの知惠はあとにつくと云諺のごとしと悔、十七講のものども内談, 浦濱に至迄、篝の見えぬ所はなし、一揆共のしわざと見候て、本覺寺が門に樂書をぞし, 參る人すくなければや極樂へ人殺して追やられけん, 天正二年十月是月, 八一

  • 天正二年十月是月

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  • 八一

注記 (16)

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