『大日本史料』 8編 23 長享2年7月~同年11月 p.306

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ころへ、日ごとに出給ひ、往來の諸人にむかひ説法教化ありて、夜は松尾山へかへり, なしてあまねくつたへんことを乞、予是を感じ、筆のつたなきをかへり見ず、其志にま, 師は本朝百一のみかど後小松院の御宇、應永十四丁亥の年、佛の滅後より二千三百五十六, まつ尾山におもむかせ給ひ、惣導師をつとめ給ふ、その折ふし、ひるは竹原といふと, 年、宗祖の入滅より一百廿六年にあたつてむまれ給へり、祖父は相州鎌倉の郡代埴谷備, かす、更に古記傳記によりて、殘たるをあげ、つまびらかならざるをたゞし、章段をわ, 給ふ、法をひろめ給ふこと、よのつねならずけなげなるふぜいなり、こゝに千葉胤鎭, 一爰に肥前國松尾山護國光勝寺は九州の探題千葉の胤貞の建立にして、正中山日祐上, 人の開闢なり、是によつて此山の惣導師は、中山の貫首つとめ來りし所なり、, かちて其趣を畫、幼童に便してながく法の林に入しむ、〓下, 前守重義、父は埴谷左近將監法俊日繼、母は藤原氏なり、〓, 學成第二, 本法寺二十七嗣法日達序, 誕育薙染第一, 師, ○中, 略, 父ハ埴谷法, 依リテ〓漏, 古記傳記二, 肥前光勝寺, ヲ補フ, 行記ヲ假名, 二改メ更二, 千葉胤鎭歸, 俊, 依ス, シ眞名ノ徳, 長享二年九月十七日, 三〇六

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  • ○中

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  • 父ハ埴谷法
  • 依リテ〓漏
  • 古記傳記二
  • 肥前光勝寺
  • ヲ補フ
  • 行記ヲ假名
  • 二改メ更二
  • 千葉胤鎭歸
  • 依ス
  • シ眞名ノ徳

  • 長享二年九月十七日

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  • 三〇六

注記 (30)

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