『大日本史料』 8編 27 延徳元年3月~同年6月 p.99

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事にて候、ためしすくなくこそ、, われまては三代につかへて玉津島かひ有神の光をそみる, 御覽候ことく、御自筆にて殊更御判在之、等持院殿・寶篋院殿・鹿苑院殿、頓阿・經, 鹿苑院入道太政大臣家にて、題をさくりて歌よみ侍し時、述懷の心を、權大僧都堯尋、, この金玉おもしろくうちをきかたくこそ候へ、誠に三代になり候事、わか身もおなし, 候、面目至極候哉、御尋に付て、此一册にかさねて令書寫畢、常徳院殿御判在之、, 賢・堯尋、公私此三代にて候、此時御自筆御書御覽し候て、常徳院殿如此堯感律師被下, 四年閏五月廿四日、丁丑、陰、常徳院殿萬葉體歌合正本、榮雅判詞一見、, 我も三代人も三代まて馴きつゝともにそみかく玉津島姫, 審、愚存示之、勸一盞、, 無念至極候、, 〔實隆公記〕享祿三年十月廿九日、乙酉、晴、入夜甘黄來、常徳院殿百番歌合作者不, 一鹿苑院殿・常徳院殿御詠、已前注被下て候へとも、なを此一册にのこしをきたく令存候、, 河内民部なとゝ申人とりさた候哉、つゐに全部はて候はて、大樹むなしく成給候事、, 延徳元年三月二十六日, ○義熙、公卿及ビ近臣ヲ會シテ、和歌ノ打聞ヲ編, セシムルコト、文明十五年二月一日ノ條ニ見ユ, ○下, 略, 略, 番歌合, 常徳院殿百, ヲ終ラズシ, 打聞ノ編纂, テ死去ス, 義熙和歌ノ, 延徳元年三月二十六日, 九九

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  • ○義熙、公卿及ビ近臣ヲ會シテ、和歌ノ打聞ヲ編
  • セシムルコト、文明十五年二月一日ノ條ニ見ユ
  • ○下

頭注

  • 番歌合
  • 常徳院殿百
  • ヲ終ラズシ
  • 打聞ノ編纂
  • テ死去ス
  • 義熙和歌ノ

  • 延徳元年三月二十六日

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  • 九九

注記 (28)

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