『大日本史料』 8編 36 延徳2年3月~同年4月 p.322

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おなし空にあかり、佛閣僧舍の經論聖教も劫火魔風のひとつ道にうせはてて、萬牛か中に, にや、天暦・長保・安元・元應皆母后の御追善なれハ、先蹤も後鑑もいとあはれにかたし, 同塵に下の御祖のかけをしたしくしたまふ、おほよそよろつの道におしへあるなかにも、, 九禁に梵筵をひらきておこなはれけるよりこのたひまての儀、いまた十ケ度にハみちさる, にや、いはゆる釋氏の獨尊は切利の安居にまやのあまりの跡をとひ、賀茂の靈神は長安の, 孝をもとゝするかゆへに、孝に文をそへておしへとハよむとかや、されはことし延徳二年, 毛をえかたきさまにて、舊例も先規も事にふれてつまひらかなる事なけれは、禁闕のふ, 禁中にてのおこり、村上天皇の天暦九年正月皇大后穩子のさために八軸の宸筆をくたし、, 卯月しもの八日は國母仙院の三回の聖忌にて、廿六日より五ケ日の御八講をおこなはる、, 夫至孝の道は、異域の唐堯虞舜もこれにもとつき、本朝の明王聖主も是を純としまします, けなきことなりや、ありし應仁の亂より廿餘年の間に、公私諸家の文書記録も兵塵狼煙の, 延徳二年御八講記, るき軒端に昔しのふの露をかは、京洛のあれし巷にふかき蓬のもとを戀つゝ、たかきもい, 延徳二年四月二十八日, しらかさねの日記又云きぬかつきの日記藤原基綱」, しらかさねの日記又云きぬかつきの日記, (朱書)〔イナシ〕, 姉小路基綱, 八講假名記, 三二二

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