『大日本史料』 9編 1 永正5年6月-永正6年9月 p.773

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のよし仰出れ候はゞ、必す御身方に可屬、然は孝綱を易討執へしと申けれ, 申上けるは、大勢にて御合戰せさせ給は、敵御方勿論數多討死仕らん、是國, の事、上那須殿被聞召及、仰けるは、宇都宮成綱の幕下參屬申樣に被仰聞候, 得共、未た落著不仕候、豫御旗下に罷成らんと存候刻、忝仰を蒙候と約諾仕, は、何も實にもと思召、頓而件の三士を召仰出れけれは、畏候迚、使者を遣し, に成て合戰におよふ、依之資房、長臣等を召て仰ける、我鹽谷と雖諍雌雄、未, 座候、彼三士を招せ給ひて、義厚仁愛を以御對面有て、所領一ケ所をも可給, の一村を可進宣ひけれは、油井筑後守申上けけるは、某等内々いきとうり, 召之、彼三士内々鹽谷を不足に思ふ折節、下庄に早速參上仕る、高瀬内藏介, 遂本意、無念なり、此度大軍を發、彼に居城を可攻落と宣ひけれは、奧野謹而, 爲案内と、資房の御前に罷出、資房御對面被成、仰けるは、使者を以て申達候, 所に、早速參入の儀神妙の至りなり、此度身方に被屬候はゝ、熊田、志鳥、北條, の衰微なり、謀以敵を退け給はんこだ、軍法の第一と仕候。此度軍をは先御, 右衞門大輔資房と申ける、烏山に居城す、然に資房、鹽谷伯耆守孝綱と不和, 延引有之、孝綱普代者に大貫石見守、印南修理進、油井筑後守と申す勇子御, 資房孝綱, ノ臣大貫, 等ヲ誘ハ, 印南油井, ントス, 永正六年六月三日, 七七三

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  • 資房孝綱
  • ノ臣大貫
  • 等ヲ誘ハ
  • 印南油井
  • ントス

  • 永正六年六月三日

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  • 七七三

注記 (22)

  • 1092,668,67,2186のよし仰出れ候はゞ、必す御身方に可屬、然は孝綱を易討執へしと申けれ
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