『大日本史料』 9編 2 永正6年10月-永正7年12月 p.167

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時雨かは紅葉の中の山めく李, けを幾重にゐわた白き宿の菊, 興行、, 折多し家新造也、かつは此たひ立よるへきと、兼て音信けるにやと見え, はま河と云所に、松田加賀守法躰して宗, 侍る、いさゝかそのこゝろも有へし、大戸といふ所海野三河守宿坊に一宿, 切の送りとも成〓し、廿一日、草津より大戸へ歸り出侍りぬ、兼約とて一座, して、九月十二日に草津へはきぬ、同行あまたありしまて馬人數おほく、懇, 懇切のみ、忘かたおことおるへし、, 道に相伴ひしに、信濃路より例ならさりしに、此宿所にて廿日あまり逗留, きのふけふずけ出侍る山中、前後左右の紅葉の秋の興計なるへし、可諄九, 繋、この十年あまりこのかたいひかはし侍り、八九年のさきのとし、宗祇此, をくりきてとふ宿すくる時雨かな, 此折の〓まておもひ出られておもしろかりし夕そかし、, 一兩日有て重陽興行、, 宗祇, 明十二年六月是月ニ其條アリ、, 防ニ下リ、尋デ、筑前ニ遊ブコト、文, カントシテ、上野伊香保ニ疾ムコト、文龜, 寂スル條ニ見ユ, 二年七月三十日、其, ○宗祇、大内政弘, ○宗祇、宗長ト共ニ越後ヲ發シ、信濃ニ赴, 招ニ應ジテ、周, 宗祇, 上杉〓定, 草津ニ至, 法樂連歌, 大戸, 松田宗繁, ル, 永正六年是歳, 一六七

割注

  • 明十二年六月是月ニ其條アリ、
  • 防ニ下リ、尋デ、筑前ニ遊ブコト、文
  • カントシテ、上野伊香保ニ疾ムコト、文龜
  • 寂スル條ニ見ユ
  • 二年七月三十日、其
  • ○宗祇、大内政弘
  • ○宗祇、宗長ト共ニ越後ヲ發シ、信濃ニ赴
  • 招ニ應ジテ、周
  • 宗祇

頭注

  • 上杉〓定
  • 草津ニ至
  • 法樂連歌
  • 大戸
  • 松田宗繁

  • 永正六年是歳

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  • 一六七

注記 (33)

  • 395,716,59,909時雨かは紅葉の中の山めく李
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