『大日本史料』 9編 3 永正7年是歳-永正9年3月 p.529

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は、慈雲空和尚とのみ載て、成之とは心付なきさまなり, 慈雲居士, しこと、旱霖集に載るよしいへれと失考なり、旱霖集に、觀自在また白衣, 皇朝名畫拾彙卷第三云、慈雲空和尚畫山水, 千手等の贊は見ゆれと、慈雲の畫かきしよしは更に見えす、何の書より, へるを見るへし、さて慈雲居士の觀音を畫かきて、岩惟肖に贊辭を求め, 按に、かく畫史ともに姓氏をも載ぬは、たゝ畫僧とのみおもへるさまな, 居士なとかける〓多し、甚しきは某和尚なともいへり、詳には前條にい, り、こは細川成之の法號にて、別人にあらす、浮屠氏の讚詞等には、まゝ某, ろく四書ともに別人としたる、これはた何れも, 〓からす猶畫史、畫譜、拾彙等の全文は、次々に載るをみるへし、, 本朝畫史卷第三云、慈雲居士、不詳其姓曾畫觀音像、求贊辭於岩惟肖、載旱, 失考なり、但古代に慈雲房といへるあり、こは金岡の弟子といへり、混す, 霖集畫佛像學雪舟者也、, 扶桑名公畫譜は、成之また慈雲居士として二人とせり、皇朝名畫拾彙, 僧とのみ思へるさま巾, とゝ竝へ載て、またく書, 晝譜亦同、, 京華, 扶桑名公, 其よしハ、周孫、周, 之、康西堂、東朱な, 集、, 同, し, 永正八年九月十二日, 五二九

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  • 僧とのみ思へるさま巾
  • とゝ竝へ載て、またく書
  • 晝譜亦同、
  • 京華
  • 扶桑名公
  • 其よしハ、周孫、周
  • 之、康西堂、東朱な
  • 集、

  • 永正八年九月十二日

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  • 五二九

注記 (27)

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