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と稱せしも此人ならむ、尋禪僧正を飯室和尚とせしからに、彼此あひ混して、眞年, 遂に此説をなしゝとおもはる、さらは、元三大師像、尋禪僧正の筆とするも信かた, 香院、慈惠僧正弟子、正暦元年二月十七日入滅、歳三十八、諡慈忍とのみ、是も畫, て、尊卑分脈を檢するに、師輔公第十三男尋禪、天台坐主權僧正、號飯室和尚、妙, 正と記せり、義懷中納言は、九條相國師輔公の孫にして、伊尹公の五男なり、花山, にして、入道と叔姪の親あれは、又安樂寺に住れしならん、さて義懷入道の六男、, 躬行、再ひ眞年か説を按するに、拾芥抄諸寺部に、飯室、中納言義懷籠居、尋禪僧, 大師とは、慈惠僧正をいふとそ、, 帝に隨ひて入道し、名を寂眞と改め、飯室安樂寺に隱る、尋禪僧正は師輔公十三男, えす、鈴木眞年か説に、元三大師像筆者阿闍梨公者、謂慈惠大師之弟子、九條右丞, 台及坂本來迎寺、山門所傳如此、然畫家以覺超爲阿闍梨公者甚誤矣といへり、仍り, 事は記されす、猶俟後考、但眞年か、侍者暹賀を仙雅とせるは誤なり、さて、元三, 相師輔公男、尋禪僧正也、畫中有二侍者、名仙雅・聖救、眞蹟三幀、今在山門・東, 天王寺別當延圓、畫を能くす、世に繪阿闍梨と稱す、榮華物語鳥舞に、飯室阿闇梨, 幀ハ來迎寺, 阿闍梨公ハ, ニアリトノ, 延圓トノ説, 尋禪筆ノ一, 説, 寛和元年正月三日, 三二七
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- 幀ハ來迎寺
- 阿闍梨公ハ
- ニアリトノ
- 延圓トノ説
- 尋禪筆ノ一
- 説
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- 寛和元年正月三日
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- 三二七
注記 (22)
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