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落行ける、, 正十年三月是月ノ條ニ見ユ、, えある故に、惟豐、甲斐父子をたのみ、勢を催し、阿曾、盆城の城主等と牒し合, 者あり、是は菊池の庶流甲斐肥後守重村か末葉なり、重村、菊池武重と爭戰, の軍に利をうしなひ、いかにもして惟前を滅し、阿蘇に還住せしめんと、旦, をうはひて、威を震ひ、鞍岡山によせて攻戰ふに、惟豐小勢なるが故に、度々, に及ひしより後は、代々日向國に蟄居せり、父子ともに、武勇他に超たる聞, 夕憤り思ふ處に、日向國高知保に、甲斐大和守親宣、同民部太輔親直といふ, せ、大軍を催し、堅志田の城をせめ落す、惟前及其子惟堅城を出て、薩摩國に, 義植、太蔭ヲ朝鮮ニ遣シテ、大藏經ヲ求メ、藏經器造成ノ助縁ヲ請フ、, ○肥後守護菊池武經、弟阿蘇大宮司惟豐ヲ攻メテ、日向鞍岡ニ走ラシ, メ、尋デ、名ヲ惟長ニ復シ、子惟前ヲシテ、大宮司職ヲ襲ガシムルコト、永, よせ、惟豐と合戰す、惟豐打負て、日向國鞍岡山に立退く、惟前大宮司か所領, 八月甲辰朔、壬子、上御仁政殿、接, 見日本國使臣太蔭和尚、, 〔中宗大王實録〕, 十二年, 十二年、, 大明正徳, 二十, 二十丁, 九, 太蔭國王, 李懌ニ〓, 永正十四年是歳, 三〇三
割注
- 十二年、
- 大明正徳
- 二十
- 二十丁
- 九
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- 太蔭國王
- 李懌ニ〓
柱
- 永正十四年是歳
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- 三〇三
注記 (26)
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