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かくて武經菊池家を相續して後、逆暴乃振回あるゆへ、國人とも憤り、多勢, の軍に利をうしなひ、いかにもして惟前を滅し、阿蘇に還住せしめんと、旦, 宮司を滅し、神領を奪むと思ひ、永正十年三月十一日、盆城郡堅志田城に押, 夕憤り思ふ處に、日向國高知保に甲斐大和守親宣、同民部太輔親直といふ, えある故に、惟豐、甲斐父子をたのみ、勢を催し、阿曾盆城の城主等と牒し合, 者あり、是は菊池の庶流甲斐肥後守重村か末葉なり、重村、菊池武重と爭戰, よせ、惟豐と合戰す、惟豐討負て、日向國鞍岡山に立退く、惟前大宮司か所領, に及ひしより後は、代々日向國に蟄居せり、父子ともに武勇他に超たる聞, をもつて、隅府の城を追落す、程なく武經病死す、其子惟前といふ者、阿蘇大, をうはひて威を震ひ、鞍岡山によせて攻戰ふに、惟豐小勢なるか故に、度々, 〔求麻外史〕, 落行ける、, 〔菊池傳記〕三菊池武經滅亡事, せ、大軍を催し、堅志田の城をせめ落す、惟前及其子惟堅城を出て、薩摩國に, 菊池惟前、攻阿蘇惟豐於堅志田、惟豊, 來奔、匿于八代福善寺、居亡何、公使之復歸、, 十年, 蓮心公第十四, 月日, (相良長毎〕, 闕、, 親宣父子, 武經病死, 惟豐甲斐, 惟豐ヲ攻, ムトノ説, ニ頼ル, シ子惟前, 八代ニ匿, 惟豐肥後, 永正十年三月是月, 六一四
割注
- 蓮心公第十四
- 月日
- (相良長毎〕
- 闕、
頭注
- 親宣父子
- 武經病死
- 惟豐甲斐
- 惟豐ヲ攻
- ムトノ説
- ニ頼ル
- シ子惟前
- 八代ニ匿
- 惟豐肥後
柱
- 永正十年三月是月
ノンブル
- 六一四
注記 (32)
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