『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.3

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外城ありしと見えて、天正の頃、隈庄藤山に住たる一條右馬助輝宗か、甲斐, 豐前權守惟雄は、惟澄か次弟にて、前に見えたる彌三郎惟賢、彌次郎惟頼ら, か兄なるにや、されとも惟賢惟頼か外、弟ありしとも見えされは、惟賢其頃, 五都城は、外城の字雅ならさる故、西土にて周の時、諸〓國に都邑都城なと, なと、みれ菊池の外城なり、後また菊池の土俗、菊池の十八外城といひ傳へ, いふものゝありしか、こゝの外城といふによく似たる物にて、となへさへ, こと見えたれは、今の凶徒といふも、合志なるへしとはいひたるなり、舍弟, しと見え、また後の五年三月、同し幸隆か菊池の陣の城を攻取て、楯籠りし, 菊池にては、前に見えたる〓口穴河盤闍久、後に見えたる陣の城木野の城, 民部入道宗運に寄たる詩に、雄圖二十五都城、星斗蕭然秋氣清、とある二十, いふ外郭の事にはあらす、本城の外に所々に構たる小城のことにて、當時, たるは、これらの城々にてありしなるへし、後には阿蘓の領内にも二十五, 同かる故、脩て都城の字に代用たるなり、さてこゝに凶徒とあるを、合志幸, 隆なりとしたるよしは、前に正平二年十一月に、合志か菊池の本城を奪取, 付、武光とさしはさみて、幸隆の籠たる外城を追落したるなり、外城とは、今, 南朝正平四年北朝貞和五年十一月一日, 凶徒ハ合, 志幸隆〓, リトノ考, 外城ニツ, キテノ考, 南朝正平四年北朝貞和五年十一月一日, 三

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  • 凶徒ハ合
  • 志幸隆〓
  • リトノ考
  • 外城ニツ
  • キテノ考

  • 南朝正平四年北朝貞和五年十一月一日

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注記 (23)

  • 1309,663,59,2204外城ありしと見えて、天正の頃、隈庄藤山に住たる一條右馬助輝宗か、甲斐
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