『大日本史料』 6編 10 貞和2年8月~貞和3年11月 p.162

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おとされし故、惟澄また竹崎左衞門太郎と馳付て、頼尚か勢を追ちらせし, 田への通路なり、されは其處を敵にふたけられては八代への出入斷絶す, 山村の支村に黒淵といふ處あり、そこなるへし、米山さたかならす、今の龍, 小川守山にはかゝらすして、今宮の城を攻たりしとみへて、其後また山崎, ぬやうにはかりしかとも、惟澄また押寄て二の向城とも攻落して、頼尚か, かしはすへて今宮といひしなるべし、頼尚は一旦守山ニて負軍はしたり, に入れて、黒淵を取り返さんとしたるなり、然るを頼尚より一族對馬豐前, 以下をさしむけて米山をせめたりしに、八代勢防かねてつひに米山を追, 勢を追出せしなるべし、安見山は山崎に隣たる所なり、黒駿は、八代郡南種, ケ峯の中にてもありしニや、たつぬへし、黒淵は龍ケ峯の東南にありて、高, 也、對馬豐前守はまへニもみへて、豐前三郎か父なるへくみゆれとも、誠は, る故、内川も此境に打越て惟澄に合力を頼みたりし故、内川を米山の要害, しかとも、なほ南郡の間に逗留して、宇土より直に船こてむかひたん、今度, 安見岡に向城をかまへて、甲佐砥用のかたを攻めて惟澄か八代郡に打出, 同人ニて、こゝは誤て豐前守とかきしにはあらぬニや、猶可考, 黒駮城ノ, 考, 南朝正平元年北朝貞和二年十月二日, 一六二

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  • 黒駮城ノ

  • 南朝正平元年北朝貞和二年十月二日

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  • 一六二

注記 (19)

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