『大日本史料』 9編 9 永正16年正月-永正16年10月 p.216

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考すれは、符を合せたるか如し、, 元年、細川勝元、兵を集む、細川淡路守之信、及淡路の兵士細川下野守に從ひ、山名宗全, 七主の院號・法名・卒日は、社家村覺住寺處藏の鬼簿に載たれとも、姓名を記せす、或, と京都に戰ふ、按するに、應仁亂の時、成春は隱岐守といひ、之信は淡路守と稱せしと, 淡路守尚春なるへし、初は元信といひ、後に尚春と改たる歟、成春の子なるへし、應仁, 見へたり、是尚春なるへし、明應年中、成相社棟札に、淡路守尚春の御願によりて、上, 葺修營せらるゝ由見えたり、又釜口妙勝寺に、尚春とある願書一通あり、是も此人なる, 日卒と有は、尚春なるへし、文明十八年より是まて二十二年なり、猶考證下に記す、右, の主君と仰き來る細川淡路守成春を〓したり、放逸の擧動、末頼もしからすと、諸人危, は傍書したるを見るに、別人の姓名にて違へり、予尊卑分脉の圖に、院號を記せるに合, へし、〓逆に遇しならん、覺住寺鬼簿に、前淡州桂堂以久文公、永正四年丁卯五月廿三, 川高國を討んとて、京都に攻上る、然るに希雲は、去年阿波國高津といふ處にて、一方, みけり、高國近江より多勢を卒して京に攻上り、希雲と合戰す、希雲討負て、曇華院へ, 逃入降參す、高國これを赦さんとす、故細川成春か子彦四郎尚春曰、希雲は某か父の仇, 應仁記曰、永正十七年、細川澄元の執事三好筑前守長輝, 入道希雲、阿波國より、細, 初名, 之長, 永正十六年五月十一日, 二一六

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  • 初名
  • 之長

  • 永正十六年五月十一日

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  • 二一六

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