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正五年、三好氏於百萬遍寺自害と書たるは誤なるへし、, し、希雲生害永正十七年ならは、それより十四年以前に、尚春を〓逆せしにやあらん、, 相の棟札に見へたる通也、覺住寺の簿によらは、永正四年五月廿三日尚春の卒日なるへ, 遙後の事なるへし、, 故老傳説に、養宜の屋形七八代にして、三好氏の爲に亡ひたりと、又は播磨より攻取た, 日、行長百萬遍の寺にて、自害しける、法名希雲と號すと有、是は尚春の卒去よりは、, 當れりと、皆人取沙汰す、五月十一日の事なり、按するに、成春の卒去は、文明十七年乙, といふ、其墓今も五の瀬にあり、按するに、是尚春なるへし、將軍家譜義澄の譜に、永, 也、然れは成春にてはなし、若は尚春を〓したるか、尚春も明應年中まては存生也、成, 田納村に細川の家人有しか、實をもて寇に告たり、これによりて、寇の爲に害せられぬ, 巳と右に記せり、乙巳より長享・延徳・文龜を經て、永正十七年庚辰迄は、三十六年後, るとも云、屋形主寇を避て、廣田郷鮎屋村の山奧五の瀬と云谷の中に隱れ居たるを、廣, 攻掛る、行長四國勢馳向て攻戰けれとも、香川・安富等降人に成、行長終に叶はす、五, 也、誅し度と望けれは、高國許諾し、希雲此寺にて自害す、今日は亡君成春の一周忌に, 高國記に、永正十七年、三好筑前守行長、京へ責上る、五月三日、高國京東山白川表へ, 永正十六年五月十一日, 二一七
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- 永正十六年五月十一日
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- 二一七
注記 (17)
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