『大日本史料』 9編 11 永正17年4月-永正17年雑載 p.49

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は一所にて死せんする物をとて歎き、やゝ有て申されけるは、人々暫く御待候へ、國へ, 方より首共京へ上けれは、高國御感有けり、去間、三好之長父子三人運のつくる事やら, て腹切給ひぬ、かた〳〵も只今腹切給へと申けれは、兄弟は親の事を聞て〓を流し、同, 我も則腹切ぬ、淡路守殿むかへり月にかやうに有けれは、只人間の因果はめくるにはや, 同九日に二重三重に取卷けれは、之長父子三人腹切らんとし給ひしか、今一度命のへは, んさいおやのかたきとて申請させ給ひ、上京百萬遍して腹切給ふ、同名新四郎介錯し、, る、降參人いかゝと思召けれ共、さあらは生害させられよと御返事有けれは、彦四郎殿, きもの哉と、人々申也、同子息次郎・孫四郎事も、彦四郎殿より高國へ色々申されけ, の御内衆、かの兄弟の宿所へ同十二日にをしよせ申けるは、御親父之長は昨日百萬遍に, つかけ、雜兵以下首二百はかり討取、然共澄元は異儀なく播磨へ御のき有ける、河原林, ん、その夜のうちにいつ方へも落行給はて、曇華院殿に忍はれし事かくれなく、此寺を, やとおもはれ、高國へ御侘言申さるゝ、誠にはかなき事なから降參にまいられける、子, 入給ふ、同十一日に之長・同名新四郎も御免とて此寺を出給ふ、然所に淡路彦四郎殿け, 息芥川次郎・同弟の孫四郎まつ寺を出て、同十日に高國へ御對面也、上京安達の宿所へ, 淡路守尚春ノ子, 淡路守尚春ノ子, 澄元ヲ追屈蹠, 永正十七年五月十一日, 四九

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  • 淡路守尚春ノ子

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  • 澄元ヲ追屈蹠

  • 永正十七年五月十一日

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  • 四九

注記 (19)

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