『大日本史料』 10編 2 永禄12年3月~同年6月 p.494

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し、一方便可仕と被仰候、然處に、鹿兒嶋より兵粮を平出水え運ひ候とて、, 年嶋津勢失勝利候事、偏に武略の拙き故也、於此度は、隨分敵をおひき出, 候へは、嶋津勢去年の敗軍を仕返し申さんとて、三ケ國の勢大略集り候, 數を盡して出可申候、圓通寺近所に伏草を仕候へ、相良勢を眞中に入立、, 口の城より、兵粮運送の人夫を見候て、いさ此兵粮を追落して取んと申, 人夫數百人、兵粮を馬にて、圓通寺きふかるいと申所を、さゝめき渡りく, 罷通り候を、中書御覽候て、此兵粮を奪取可申とて、定而大口城ゟ相良勢, 間、三千餘の勢、道を中に置、網の手を廻し致伏草、鳴を靜めて待居候處、大, 時刻能候半時、相圖の螺次第に臥草を起し候へと、いかにも懇に被仰付, なり、御馬は長け七キ計りなる市來野の月毛の駒、金覆輪の鞍置さ、御身, 平出水に在城、大口之當番, は、東伊勢守にて候、組中の歴々雜兵千之積にて在番也、中書被仰候は、去, 永祿十二己巳年、嶋津中務大輔家久, 輕氣こ被召た5は、誠ニ大聖摩利支天も、かくやと申計也、, く、各打立申候、小田八郎右衞門申候は、中書殿去年之負軍を仕返し可有, 一大口砥上合戰之事, 〔歴代參考〕, 永祿十二年五月六日, 義久四番, めノ弟、, 義陽公, 三, 小田八郎, 右衞門ノ, 諫言, 四九四

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  • 義久四番
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  • 義陽公

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  • 小田八郎
  • 右衞門ノ
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  • 四九四

注記 (26)

  • 1098,751,64,2146し、一方便可仕と被仰候、然處に、鹿兒嶋より兵粮を平出水え運ひ候とて、
  • 1210,749,64,2135年嶋津勢失勝利候事、偏に武略の拙き故也、於此度は、隨分敵をおひき出
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