『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.544

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油斷なく相固々れは、遠藤勢も追々兵粮乏敷相成、大きにこみり、如何はせ, て出れは、勝利を得る事もある〓し、それ迄は、草を喰つてなり共いのちを, すなぎ、其虚にのそみ取計ふるしと一决して、夫ゟ岐阜信孝公へ注進とし, 犬死同前なり、このうへは岐阜表へしのひの者を遣はし、彼地より大軍を, 皆々餓死せんよりは、一時もはやく討死の覺悟にて、打て出るより外なし, 以て責よせる手便にして、そのうへ兵粮も彼地より持運せ、亂軍の中へ切, んと思ひ々るに、はや日數十日餘日にも相成られは、兵粮も彌手薄く、軍勢, と、評義區々なれは、村山三右衞門進み出申々るは、兵粮之手薄にて、討て出, るといふとも、敵き大軍をもつて取圍み、筒先を揃へ待かけたる〓なれは, 晝夜をりろす詰懸居れは、遠藤勢も途方にくれ、四五日にも相なれ共、敵方, 遠藤へ信孝公後詰被成候間ヲ越され、御書之寫, 追々申越候通心得候、人數出シ可心安候、我々岐阜ゟ一左右次第可爲出, て、忍の者を遣し〓る、其時節秀吉公、信孝公一先つ和睦になりられとも、兩, 馬候、上方ゟ我等存分相濟候而、今十七日、其夜富田平右衞門兩人越候事, 天正十一年閏正月十二日, 藤新兵衞尉、同左馬助宛、信, ○中略、閏正月十一日附、遠, 十二日附、信孝書状ニ大抵同ジ、, 孝ノ書状ニカヽル、前掲、武藤文書, 兵糧窮乏, 使ヲ岐阜, ニ遣ス, ス, 天正十一年閏正月十二日, 五四四

割注

  • 藤新兵衞尉、同左馬助宛、信
  • ○中略、閏正月十一日附、遠
  • 十二日附、信孝書状ニ大抵同ジ、
  • 孝ノ書状ニカヽル、前掲、武藤文書

頭注

  • 兵糧窮乏
  • 使ヲ岐阜
  • ニ遣ス

  • 天正十一年閏正月十二日

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  • 五四四

注記 (25)

  • 1704,558,63,2186油斷なく相固々れは、遠藤勢も追々兵粮乏敷相成、大きにこみり、如何はせ
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