『大日本史料』 10編 4 元亀元年2月~同年9月 p.951

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すること能はず、敵は人數多かりしに拘らず、戰を始むる勇氣なかりき、遂, り、即夜同地に向ひて出發し、到著するや悉く下坂本を燒き拂ひたり、此町, 千人〓されたるが、又敵兵約五百人を〓したり、其後講和を結び、越前の王, ぎざりしが、都に著きたる當日、敵は當地より四レグワの坂本に在るを知, 籠り、坊主等は食物及び家を供して大に之を助け、悉く信長の敵となりた, に坂本より二レグワの甚だ富裕なる堅田と稱する町、信長に叛き、其兵約, 尾張の王は既に其軍隊を解散し、其國に歸る爲め、留めし者は七千人に過, り、此の如くして兩軍は、嚴寒の際約二ケ月半對陣し、信長は美濃國に通行, 信長は京に歸り、此日の戰に敵兵死する者六千人, は前に述べたる如く甚だ廣大なりき、敵は上坂本及び比叡の山の諸山に, は其領地に、信長は其國に還りしが、信長は比叡の山の坊主等及び上坂本, 竝に堅田の町に對しては、心中大に憤りゐたり、, 餘なるを以て、再び起るの患なきを信じ、此の勝利に乘じ、敵を追窮するを, (歐文材料第四號譯文), }, 日本西教史〕, 一信長ノ之ヲ焚クコトニ, カヽル、二年九月十, ○上略、信長、長政等ト姉, ○上下略、延暦寺ノ状態及, 二日ノ條ニ收ム、, 川ニ戰フコトニカヽル〓, 増補, 訂正, 第五章, 上, 堅田信長, 兩軍對陣, ニ青ク, 兩軍講和, 元龜元年九月二十三日, 九五一

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  • 一信長ノ之ヲ焚クコトニ
  • カヽル、二年九月十
  • ○上略、信長、長政等ト姉
  • ○上下略、延暦寺ノ状態及
  • 二日ノ條ニ收ム、
  • 川ニ戰フコトニカヽル〓
  • 増補
  • 訂正
  • 第五章

頭注

  • 堅田信長
  • 兩軍對陣
  • ニ青ク
  • 兩軍講和

  • 元龜元年九月二十三日

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  • 九五一

注記 (32)

  • 1205,671,60,2204すること能はず、敵は人數多かりしに拘らず、戰を始むる勇氣なかりき、遂
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