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衆に加へらる、, 一公御室は安富越中の女、, 時方圓公御年三十、, 一天文十九年庚戌、肥前有馬にて御誕生、御母は安富越中入道得圓か女、此, 國高來郡を領したまひ、日野江に居城したまふ、此時御年二十一、, 一元龜元年庚午の秋、方圓公御隱居まし〳〵、公御家督を御受ありて、肥前, 御子なく、壯年にして御逝去ありし, 太郎と稱し、足利將軍義晴公の諱字を賜はり、修理大夫に任さられ、相伴, 諱は義純、初, 〔藤原有馬世譜〕,, 〔藤原有馬世譜〕〓雲〓前歴世之諸丘雲公, 〳〵, 元龜元年是秋, り秋に渉りての事なり、龍造寺再大友に背きて、佐賀を攻か時の事なり、, 貴明以下多勢にて、小城表より指廻す云々、兒g〓〓ヽ記是元龜元年春よ, 此御腹に御女子一人御出生なされ、御靈公に配, 代、有馬十二代, 〓られ、松園公を御生なされたるよし、信次か記, 大祖より二十八, 證す、永祿九年丙寅の春、義貞と改めたまふと、水月庵御系圖にしるされ, 入道したまふは、永祿八年なるへし、諸家に賜ふ所の感状等に據て是を, にしるす、一本亦然り、しろれとも其, たり、入道の後諱を改ためられしなり、軍記に、大友八郎親貞今山に陣, 〓れは、深き慮あらん事、小人の心もてしるへからに、今案するに、方圓公, の勢をはつりて、爭ひたまはさりしにや、兼て文才風流の御徳まし〳, 公圍碁を好ミたまひて、軍事に怠りたまふとも、いへとも、左にあらす、時, 事疑はし、猶後の松園公の譜に辨す, 上に記す所と照し, (直純), 合さて考ふヘし、, 諸勢山野に滿つ、西の方より有馬、松浦の一黨及小田鎭光、平井經治、後藤, 荒木彪案するに、承鉄の御名據、北家所藏の御靈公の御書に見〇、一説に, 雲公, り秋に渉りての事なり、龍造寺再大友に背きて、佐賀を攻か時の事なり、, 貴明以下多勢にて、小城表より指廻す云々、千g〓野記是元龜元年春よ, 貳n前歴世之譜丘雲公, 居ル, 義純相伴, 其生母, 衆トナル, 日野江ニ, 室, 元龜元年是秋, 九五六
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- 此御腹に御女子一人御出生なされ、御靈公に配
- 代、有馬十二代
- 〓られ、松園公を御生なされたるよし、信次か記
- 大祖より二十八
- 證す、永祿九年丙寅の春、義貞と改めたまふと、水月庵御系圖にしるされ
- 入道したまふは、永祿八年なるへし、諸家に賜ふ所の感状等に據て是を
- にしるす、一本亦然り、しろれとも其
- たり、入道の後諱を改ためられしなり、軍記に、大友八郎親貞今山に陣
- 〓れは、深き慮あらん事、小人の心もてしるへからに、今案するに、方圓公
- の勢をはつりて、爭ひたまはさりしにや、兼て文才風流の御徳まし〳
- 公圍碁を好ミたまひて、軍事に怠りたまふとも、いへとも、左にあらす、時
- 事疑はし、猶後の松園公の譜に辨す
- 上に記す所と照し
- (直純)
- 合さて考ふヘし、
- 諸勢山野に滿つ、西の方より有馬、松浦の一黨及小田鎭光、平井經治、後藤
- 荒木彪案するに、承鉄の御名據、北家所藏の御靈公の御書に見〇、一説に
- 雲公
- り秋に渉りての事なり、龍造寺再大友に背きて、佐賀を攻か時の事なり、
- 貴明以下多勢にて、小城表より指廻す云々、千g〓野記是元龜元年春よ
- 貳n前歴世之譜丘雲公
頭注
- 居ル
- 義純相伴
- 其生母
- 衆トナル
- 日野江ニ
- 室
柱
- 元龜元年是秋
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- 九五六
注記 (44)
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