『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.369

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よりく、是を豐後陣へをくりはかはす、豐後勢も敗走せんと思ふ所に、尼子, 和睦して人質を渡し、坂、桂、乃美此よしを注進する所に、はやく歸るべしと, と〳〵く國中を押領す、備後、備中、石州の一黨藤井、河井其外浪人蜂起して、, 十月十五日の夜、元春、隆景引退き、蘆屋を渡る時、宗像無二のこゝろざしを, いひをくお、これによりて約束のどく、三人皆立花より引しりぞき、赤間關, 尼子勝久が洛陽東福寺の僧〓りしを取立て大將とし、雲州へうち入く、こ, 隆景、元春これを褒美す、立花の城に兵粮つきて、命をたすららんとこふに, ゝかふ事數刻、穗田みつから粉骨をつくして、敵をうちてはし〓しむ、時に, 神なべの城を取、元就此よしを聞く思案する所に、十月十一日の夜、大内輝, によりて、坂新五左衞門、乃美兵部宗勝、桂左衞門尉、此三人をとゞめをきく、, 軍兵を諸方へわかちつかはしたる折節なれは、手前に人數すくなし、隆景、, あらはして、あつくこれを遇す、そのゝち豐後勢より和をこふによりて、則, 廣三千餘人にて、豐後より周防秋穗の浦へをし渡り、山口へみたれ入、元就, が浪人立花源太兵衞、山中鹿之助并に出雲伯耆の諸浪人あひあつまりて、, 元春がかたへ使者をつかはしく、立花の陣を長府まで引べしといふ、これ, 元龜二年六月十四日, 三六九

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三六九

注記 (17)

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