『大日本史料』 10編 7 元亀2年10月~同年雑載 p.325

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候やうには有ましく候、子細いりにといふに、土佐ノ國風、二淀川より東は, 人の心利根過候、川より西は左もなし、就中幡多郡は流石公家の餘風り、下, に死骸有り、彼城番手持なれは、人を撰ひたるにても有まし、律義なるしる, 一條殿の御家へ敵對なされ候事は勿躰なく候、そのうへ安喜なと追落し, 名彌次兵衞申けるは、左京進殿申され候も尤に候へとも、大殿の仰の如く、, 候、先時節を御待可然と申けり、久武内藏介申けるは、幡多郡への道筋なれ, 左近入道宗三は智惠深きものにて、諸士をなつけ、幾百姓まて能く思ひ付, し也、殊に一條殿御家老爲松若狹守、安並左京進は正直忠義の臣なり、土居, 々まて律義眞方に候、去年蓮池の城夜討の時、平田、荒川、橋本并手の者共に, は、先ツ仁井田五人を追潰し申へしとなり、元親仰けるは。尤の事なり、但五, 千萬こ候、我等はせ向ひ、幡多郡を追出し申へしと餘儀なく申されけり、桑, 人のものは千貫貳千貫の領主小身なれは、いりやうともなりやすかるへ, 勢なされ、又津野に加勢を遣はされ、長宗我部をつふすへき御たくみ遺恨, 三十六人、素肌にて一足もひりす討死致す、其場をこれは、三十間四方の内, 如く、一條殿押潰し申も恐多く候へとは、安喜備後守岡豐へ取懸申時分加, 田五人衆, 先ヅ仁井, ヲ撃ツベ, 元龜二年是歳, 三二五

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  • 田五人衆
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  • 元龜二年是歳

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  • 三二五

注記 (20)

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