『大日本史料』 10編 9 元亀3年3月~同年7月 p.117

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乘つて朱拜を打振り、退く味方を五拾余人をまとめて引揚るさま、由々敷見得しを、忠, をよみ居たりしに、花やかなる鎧著て、大將とおほしき疲武者通り行を追掛レは、大将, けり、甲と添て実〓に備へ、大迫門の百姓麁相仕候と申候、公御感悦あつて、直こ士に, 平公御覽し、馬を早めて追付玉ひ、きたなし、返せと呼はり玉ふ、此武者取て返し、抽, 立留り、我首を得さすへし、士ならは日表ゟ取へし、凡下の者ならは、日下ゟ討へしと手, 向もせさりけれは、逃る武者に日下・日表の差別やあるとつふやき、右鋩にて首打落し, を惜む勇士長倉四郎兵衞・長倉又九郎, 公こは衆に抽て小林の内粥餅田の渡りに到り給ふとも、紫糸おとしの鎧武者、馬を輪に, ・丸目兵庫・別府宮内少輔・小森民, て、黒木播磨・加久藤・飯野の地士貳百五拾人殿をなし、整々として靜に押て行、忠平, 部・北原又八郎なと百六拾人、上江筋本地口迄の間處々にて返し合せ、おもひ〳〵に討, 召出され、大迫麁相兵衞と名を賜り、今に飯野西の原に其子孫有、扨味方は惣追の法に, 死也、爰こ又上江村大迫門の百姓、朝田之打起に出て、鳶なし鋩を田の畔に立置き、田, 合せんとする處に、おもひかけなき後ゟ、村尾源左衞門か古溝の伏兵咄と起り、是にて, 敵又散〳〵に討崩され、伊東權之助・同右衞門も此之而戰死なり、其外伊東方こ而、名, 此二人、日向八千町, 第一の鑓の上手、, 追撃, 元龜三年五月四日, 一一七

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  • 此二人、日向八千町
  • 第一の鑓の上手、

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  • 追撃

  • 元龜三年五月四日

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  • 一一七

注記 (20)

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