Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
乘つて朱拜を打振り、退く味方を五拾余人をまとめて引揚るさま、由々敷見得しを、忠, をよみ居たりしに、花やかなる鎧著て、大將とおほしき疲武者通り行を追掛レは、大将, けり、甲と添て実〓に備へ、大迫門の百姓麁相仕候と申候、公御感悦あつて、直こ士に, 平公御覽し、馬を早めて追付玉ひ、きたなし、返せと呼はり玉ふ、此武者取て返し、抽, 立留り、我首を得さすへし、士ならは日表ゟ取へし、凡下の者ならは、日下ゟ討へしと手, 向もせさりけれは、逃る武者に日下・日表の差別やあるとつふやき、右鋩にて首打落し, を惜む勇士長倉四郎兵衞・長倉又九郎, 公こは衆に抽て小林の内粥餅田の渡りに到り給ふとも、紫糸おとしの鎧武者、馬を輪に, ・丸目兵庫・別府宮内少輔・小森民, て、黒木播磨・加久藤・飯野の地士貳百五拾人殿をなし、整々として靜に押て行、忠平, 部・北原又八郎なと百六拾人、上江筋本地口迄の間處々にて返し合せ、おもひ〳〵に討, 召出され、大迫麁相兵衞と名を賜り、今に飯野西の原に其子孫有、扨味方は惣追の法に, 死也、爰こ又上江村大迫門の百姓、朝田之打起に出て、鳶なし鋩を田の畔に立置き、田, 合せんとする處に、おもひかけなき後ゟ、村尾源左衞門か古溝の伏兵咄と起り、是にて, 敵又散〳〵に討崩され、伊東權之助・同右衞門も此之而戰死なり、其外伊東方こ而、名, 此二人、日向八千町, 第一の鑓の上手、, 追撃, 元龜三年五月四日, 一一七
割注
- 此二人、日向八千町
- 第一の鑓の上手、
頭注
- 追撃
柱
- 元龜三年五月四日
ノンブル
- 一一七
注記 (20)
- 397,614,74,2239乘つて朱拜を打振り、退く味方を五拾余人をまとめて引揚るさま、由々敷見得しを、忠
- 1208,613,71,2246をよみ居たりしに、花やかなる鎧著て、大將とおほしき疲武者通り行を追掛レは、大将
- 862,616,71,2232けり、甲と添て実〓に備へ、大迫門の百姓麁相仕候と申候、公御感悦あつて、直こ士に
- 281,612,77,2240平公御覽し、馬を早めて追付玉ひ、きたなし、返せと呼はり玉ふ、此武者取て返し、抽
- 1092,613,73,2245立留り、我首を得さすへし、士ならは日表ゟ取へし、凡下の者ならは、日下ゟ討へしと手
- 976,616,71,2242向もせさりけれは、逃る武者に日下・日表の差別やあるとつふやき、右鋩にて首打落し
- 1565,612,62,973を惜む勇士長倉四郎兵衞・長倉又九郎
- 512,616,74,2235公こは衆に抽て小林の内粥餅田の渡りに到り給ふとも、紫糸おとしの鎧武者、馬を輪に
- 1554,2003,61,854・丸目兵庫・別府宮内少輔・小森民
- 628,615,73,2240て、黒木播磨・加久藤・飯野の地士貳百五拾人殿をなし、整々として靜に押て行、忠平
- 1439,611,71,2247部・北原又八郎なと百六拾人、上江筋本地口迄の間處々にて返し合せ、おもひ〳〵に討
- 744,617,72,2234召出され、大迫麁相兵衞と名を賜り、今に飯野西の原に其子孫有、扨味方は惣追の法に
- 1326,613,69,2241死也、爰こ又上江村大迫門の百姓、朝田之打起に出て、鳶なし鋩を田の畔に立置き、田
- 1786,607,73,2246合せんとする處に、おもひかけなき後ゟ、村尾源左衞門か古溝の伏兵咄と起り、是にて
- 1670,613,75,2245敵又散〳〵に討崩され、伊東權之助・同右衞門も此之而戰死なり、其外伊東方こ而、名
- 1592,1599,44,372此二人、日向八千町
- 1548,1602,44,324第一の鑓の上手、
- 669,232,44,87追撃
- 198,721,42,346元龜三年五月四日
- 180,2382,48,122一一七







