『大日本史料』 10編 9 元亀3年3月~同年7月 p.320

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

を夜討にして追拂と被仰付けれは、各承て思々に打出、我軍功をせんと進けり、比は七, 取、野陣を張てそ各あかされける、義景此由を聞て、二万余騎の勢を以、小谷まて打出, て、後を卷むと攻來けれは、信長公敵に前後を包まれては惡かりなむと思召、一先義景, 寄、寅の刻より軍始して、互に火花を散し相戰けるか、日もやう〳〵西の山の端にかゝ, れは、不斜感し給けるとなり、, 月晦日の夜の事なれは、村雨降、暗さにくらし、小谷繩手の細道足のふみ所も不知、各, け、攻懸けれは、敵油斷して甲をぬき、弓を枕して臥しける處に、敵押寄けれは、弓物, 本より案内は知たり、虎後山より打廻り、一番に義景の陣屋に火を懸て、時の聲をあ, 具とひしめく處を、乱入て首多く討取て、信長公の御本陣さして引歸、見參に入られけ, 始の祝言有之、後同廿一日に、近江北郡へ出張し給ひ、淺井備前守の楯〓小谷の城へ押, 進をうしなひ、或は味方の勢と行當ては、敵かと互に思ひ、討果すも有、蒲生忠三郎は, りけれは、佐久間・柴田・木下・蜂屋、何是程の小城に日越暮す事可有とて、三の丸, まて押つめ、放火を擧て責戰ひ、餘すな漏すなと首多く討取、其夜は先虎後山の麓迄引, 〔柏崎物語〕上一、信長御息初陳、淺井か領地, 山・大つゝ山、小谷山燒働被致、此, こせ, とら, 命ズ, 義景信長ヲ, 狹撃セント, 信長反撃ヲ, 倉氏ノ援軍, 蒲生賦秀朝, ヲ夜襲ス, ス, 元龜三年七月十九日, 三二〇

割注

  • こせ
  • とら

頭注

  • 命ズ
  • 義景信長ヲ
  • 狹撃セント
  • 信長反撃ヲ
  • 倉氏ノ援軍
  • 蒲生賦秀朝
  • ヲ夜襲ス

  • 元龜三年七月十九日

ノンブル

  • 三二〇

注記 (27)

  • 1091,637,65,2246を夜討にして追拂と被仰付けれは、各承て思々に打出、我軍功をせんと進けり、比は七
  • 1320,633,66,2258取、野陣を張てそ各あかされける、義景此由を聞て、二万余騎の勢を以、小谷まて打出
  • 1205,638,66,2247て、後を卷むと攻來けれは、信長公敵に前後を包まれては惡かりなむと思召、一先義景
  • 1668,636,62,2237寄、寅の刻より軍始して、互に火花を散し相戰けるか、日もやう〳〵西の山の端にかゝ
  • 396,645,55,759れは、不斜感し給けるとなり、
  • 976,638,68,2248月晦日の夜の事なれは、村雨降、暗さにくらし、小谷繩手の細道足のふみ所も不知、各
  • 627,643,68,2244け、攻懸けれは、敵油斷して甲をぬき、弓を枕して臥しける處に、敵押寄けれは、弓物
  • 743,637,68,2249本より案内は知たり、虎後山より打廻り、一番に義景の陣屋に火を懸て、時の聲をあ
  • 511,642,66,2237具とひしめく處を、乱入て首多く討取て、信長公の御本陣さして引歸、見參に入られけ
  • 1784,633,64,2241始の祝言有之、後同廿一日に、近江北郡へ出張し給ひ、淺井備前守の楯〓小谷の城へ押
  • 860,639,67,2247進をうしなひ、或は味方の勢と行當ては、敵かと互に思ひ、討果すも有、蒲生忠三郎は
  • 1552,644,65,2238りけれは、佐久間・柴田・木下・蜂屋、何是程の小城に日越暮す事可有とて、三の丸
  • 1436,638,65,2240まて押つめ、放火を擧て責戰ひ、餘すな漏すなと首多く討取、其夜は先虎後山の麓迄引
  • 267,622,83,1295〔柏崎物語〕上一、信長御息初陳、淺井か領地
  • 287,2020,58,860山・大つゝ山、小谷山燒働被致、此
  • 275,1928,34,73こせ
  • 317,1929,35,72とら
  • 1034,266,42,81命ズ
  • 1214,263,41,211義景信長ヲ
  • 1169,264,41,211狹撃セント
  • 1081,266,42,211信長反撃ヲ
  • 728,267,41,214倉氏ノ援軍
  • 770,265,44,219蒲生賦秀朝
  • 681,270,43,166ヲ夜襲ス
  • 1129,265,37,38
  • 1902,739,43,391元龜三年七月十九日
  • 1908,2405,42,119三二〇

類似アイテム