『大日本史料』 10編 9 元亀3年3月~同年7月 p.441

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

られ、則諱の字をあたへ、忠重と被改、家運をひらきなは恩賞を可行となり、, 討て捨可申と、理を盡して申けれは、純忠を始、一座の面々、遠江申所尤なりとて、, 間、抂て城内に御入被下候へ、左候而私へ御預可被遊候、万一疑敷儀も有之候はゝ、, 旨、私方より申遣候得は、追々馳參可申、しかれとも敵の大將を切候又助さへ城内に, 入レられすと承候はゝ、必定敵方に降參をこそ仕候はん、兎角又助申上る通に御座候, 早速門を開き入之、純忠又助を召寄、軍兵衞を切たる次第委細に尋問ひ、甚た感賞せ, 得は、忠義の仕かたに御座候間、彼を捨殺しに仕候はん事、武士の本意に無御座候, 一、諸方の味方三城に馳集る事并寄手敗北の事、, 候はゝ、是又後代の批判いかゝにて御座候、其上郡・萱瀬の給人共へも早々登城可仕, 純忠彼等か忠志を感し、則盃を給りけり、又萱瀬の給人一瀬内藏助・峯采女・峯彈正・, 然る所に郡村給人長岡左近・長岡備前・朝長壹岐・峯將監・神近加賀・松原の庄屋福, 庄野善助・一瀬太郎右衞門兄弟・一瀬薩摩兄弟・山口右衞門兵衞兄弟を始、都合三拾, 餘人後馳に登城す、, ・下川原の冨永彦四郎等、俄の御籠城之段奉承知、馳參候とて登城す、, 岡大藏, 大庄屋也、, 松原代々の, 三拾余人の者とも乳在の木迄立出居ける處に、今道遠江方より、急度三城に可馳參旨、, 純忠の仰なりと云回文來ける故、何も心を决して後馳に登城するなり、然共此時既に, 純忠又助ニ, 長岡左近等, 諱ヲ與フ, 三城ヲ援ク, 元龜三年七月三十日, 四四一

割注

  • 大庄屋也、
  • 松原代々の
  • 三拾余人の者とも乳在の木迄立出居ける處に、今道遠江方より、急度三城に可馳參旨、
  • 純忠の仰なりと云回文來ける故、何も心を决して後馳に登城するなり、然共此時既に

頭注

  • 純忠又助ニ
  • 長岡左近等
  • 諱ヲ與フ
  • 三城ヲ援ク

  • 元龜三年七月三十日

ノンブル

  • 四四一

注記 (25)

  • 974,685,59,1971られ、則諱の字をあたへ、忠重と被改、家運をひらきなは恩賞を可行となり、
  • 1204,679,61,2154討て捨可申と、理を盡して申けれは、純忠を始、一座の面々、遠江申所尤なりとて、
  • 1318,677,62,2154間、抂て城内に御入被下候へ、左候而私へ御預可被遊候、万一疑敷儀も有之候はゝ、
  • 1669,676,61,2180旨、私方より申遣候得は、追々馳參可申、しかれとも敵の大將を切候又助さへ城内に
  • 1552,678,59,2185入レられすと承候はゝ、必定敵方に降參をこそ仕候はん、兎角又助申上る通に御座候
  • 1089,677,59,2181早速門を開き入之、純忠又助を召寄、軍兵衞を切たる次第委細に尋問ひ、甚た感賞せ
  • 1435,678,61,2184得は、忠義の仕かたに御座候間、彼を捨殺しに仕候はん事、武士の本意に無御座候
  • 859,638,57,1212一、諸方の味方三城に馳集る事并寄手敗北の事、
  • 1784,675,61,2183候はゝ、是又後代の批判いかゝにて御座候、其上郡・萱瀬の給人共へも早々登城可仕
  • 507,678,61,2184純忠彼等か忠志を感し、則盃を給りけり、又萱瀬の給人一瀬内藏助・峯采女・峯彈正・
  • 741,678,62,2191然る所に郡村給人長岡左近・長岡備前・朝長壹岐・峯將監・神近加賀・松原の庄屋福
  • 392,681,61,2187庄野善助・一瀬太郎右衞門兄弟・一瀬薩摩兄弟・山口右衞門兵衞兄弟を始、都合三拾
  • 271,678,58,482餘人後馳に登城す、
  • 625,1104,61,1759・下川原の冨永彦四郎等、俄の御籠城之段奉承知、馳參候とて登城す、
  • 625,682,55,167岡大藏
  • 611,869,41,182大庄屋也、
  • 656,866,42,207松原代々の
  • 305,1167,47,1703三拾余人の者とも乳在の木迄立出居ける處に、今道遠江方より、急度三城に可馳參旨、
  • 259,1175,47,1686純忠の仰なりと云回文來ける故、何も心を决して後馳に登城するなり、然共此時既に
  • 1226,241,42,208純忠又助ニ
  • 759,244,42,220長岡左近等
  • 1181,243,41,168諱ヲ與フ
  • 713,248,42,209三城ヲ援ク
  • 176,733,43,390元龜三年七月三十日
  • 181,2388,43,109四四一

類似アイテム