『大日本史料』 10編 9 元亀3年3月~同年7月 p.450

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歸るをうかゞふたり、案のことく雜兵四五十人にて船よりあかり來るを、中倉つと走り, 松浦大亂敗走、三郎追北遠馳、中倉・惡多々欲雪先日耻、伏三郎之前路而〓焉、三郎不, 入口惜く思ひ、人數を隱し置、兩人はとある藪陰にかくれ居て、三郎左衞門か他所より, を聞て、内縁を以、三郎左衞門に告けるは、汝若當家に歸伏せは、褒美として日宇村を, 今度又大村に屬し、番代をすかし、平戸へもとせし事を、中倉甲右衞門・惡多々左市一, かくれ居たる味方馳あつまり、やかて地下の人質を取り、番兵を置けるとそ、, 知之、遂爲彼等墮命、於是針尾敗北、然伊賀善守城不屈、平戸兵解圍而歸、, 針尾三郎左衞門は、或時は大村に屬し、又ある時は當家に屬し、一身不定の男子なり、, 〔大村家覺書〕, 出て、鑓にて三郎左衞門か胸を衝は、惡多々おどり出て細頸打おとし、郎從を追散せは、, 可與と也、三郎左衞門、此事を父伊賀守并郎從共と相議して、即其命に從ひ、平戸より, を松浦家より種々に手使をめくらし招けれは、三郎左衞門終に松浦に屬從す、純忠是, 〔印山記〕針尾三郎左衞門被討事, 一、松浦氏攻佐志方城事元亀三年壬申正月二十日、松浦丹, 相神浦に討入引退く、其後針尾嶋佐志方城代針尾三郎左衞門, 後守源盛、, 純忠代, 純忠弟也、, 有田領主, 長男、, 伊賀守, 三, 三郎左衞門, 討取ラル, 元龜三年七月三十日, 四五〇

割注

  • 純忠代
  • 純忠弟也、
  • 有田領主
  • 長男、
  • 伊賀守

頭注

  • 三郎左衞門
  • 討取ラル

  • 元龜三年七月三十日

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  • 四五〇

注記 (26)

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