『大日本史料』 8編 15 文明15年正月~同年12月 p.590

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

國の住人庄右衞門四郎なりと名乘て、二間柄の鑓を以て、面もぬらす〓て, 暫く虎口をくつ渉立守り居たる處に、庄伊豆守ろ忰右衞門四郎、手勢五百, て討死もすへし、是を諫て伴ひ歸れとて、法城寺掃部介といふ者を使とし, 立も歸らす、庄と同しく進み戰ふて、延原右京と渡し合、あくまて戰ひ、一足, 郎兵衞、沼田與一兵衞、延原八郎左衞門を始として、大勢右衞門四郎を引包, 城寺掃部介き、右衞門四郎か、働を制すといへとも、用すして討死しられは, 懸る、沼田與一兵衞、岩間孫四郎、目黒次郎左衞門、弟與一左衞門以下庄を中, 門は、弓手の肩を〓きなつら、少しもひるます、庄右衞門四郎を討取らり、法, て云やりれは、右衞門四郎是を聞、仰にてはあれと、戰塲にて侍の討死は, 常の事、いかてろおめ〳〵と引退くやうやあると、楯の表へすゝみ出、備中, 細屋七郎左衞門、白賀新兵衞討るれは、城方にも、岸野五郎左衞門討死して、, に取込て、火花を散し攻戰ふ、目黒次郎左衞門は、腰當を〓拔れ、弟與一左衞, も引す討死す、福屋藤四郎は、延原彦八と渡り合、鑓を捨て引組らるに、延原, み、打捕んと進み戰ふ、伊豆守是を見て、右衞門四郎若武者にて、麁忽の軍し, 計にて、富岡山乃南より討て出らるに、城方櫛橋彌五郎、岩間孫四郎、難波十, 文明十五年九月是月, 五九〇○

  • 文明十五年九月是月

ノンブル

  • 五九〇○

注記 (17)

  • 908,689,63,2183國の住人庄右衞門四郎なりと名乘て、二間柄の鑓を以て、面もぬらす〓て
  • 1715,687,61,2186暫く虎口をくつ渉立守り居たる處に、庄伊豆守ろ忰右衞門四郎、手勢五百
  • 1251,690,65,2185て討死もすへし、是を諫て伴ひ歸れとて、法城寺掃部介といふ者を使とし
  • 328,699,63,2173立も歸らす、庄と同しく進み戰ふて、延原右京と渡し合、あくまて戰ひ、一足
  • 1477,689,66,2188郎兵衞、沼田與一兵衞、延原八郎左衞門を始として、大勢右衞門四郎を引包
  • 440,689,66,2194城寺掃部介き、右衞門四郎か、働を制すといへとも、用すして討死しられは
  • 787,690,63,2186懸る、沼田與一兵衞、岩間孫四郎、目黒次郎左衞門、弟與一左衞門以下庄を中
  • 557,689,64,2188門は、弓手の肩を〓きなつら、少しもひるます、庄右衞門四郎を討取らり、法
  • 1138,691,63,2174て云やりれは、右衞門四郎是を聞、仰にてはあれと、戰塲にて侍の討死は
  • 1023,689,63,2186常の事、いかてろおめ〳〵と引退くやうやあると、楯の表へすゝみ出、備中
  • 1827,688,63,2196細屋七郎左衞門、白賀新兵衞討るれは、城方にも、岸野五郎左衞門討死して、
  • 671,689,64,2187に取込て、火花を散し攻戰ふ、目黒次郎左衞門は、腰當を〓拔れ、弟與一左衞
  • 209,698,67,2175も引す討死す、福屋藤四郎は、延原彦八と渡り合、鑓を捨て引組らるに、延原
  • 1367,693,63,2180み、打捕んと進み戰ふ、伊豆守是を見て、右衞門四郎若武者にて、麁忽の軍し
  • 1600,691,61,2187計にて、富岡山乃南より討て出らるに、城方櫛橋彌五郎、岩間孫四郎、難波十
  • 1943,751,43,383文明十五年九月是月
  • 1948,2422,42,117五九〇○

類似アイテム