『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.32

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田・勝頼の兩備へ打入給ひし御武功なりとそ、是御家傳の正説也、是を以て軍鑑の誤を, 縱横に駈立けれは、穴山・保坂こゝへ行て敗北す、忠次元より武功の將なれは、したつ, 誤り多しといへとも、廿三日、穴山か手の合戰の事は、時人其實を傳へたるなるへし、, て追はす、乘返して輕く人數を引擧たり、雄、按、此朝掛の御勝利を本文に載せさる事遺, 僞なり、庄内御鑓藏に、忠次公御一生被爲持て、御武功ありし御持鑓あり、御自身の御, 武功をは御心覺被遊置しとて、御鑓の中心に〓目七つ有之内、一ツは味万原にて、小山, 軍鑑にいへり、三州方の實録を讀て、其妄説を知るへしと書り、信正か三州方の實録と, 立るものは、管見の至り也、還て彼二書にこそ、妄誕人を惑しむるの説少からす、軍鑑, して信用するものは、家忠日記・後風土記なり、かの書に載せさる事事をは一切妄説と, 恨といふへし、信正も是を知らさるにや、私抄に、大久保忠世か夜討の足輕を懸たる事, しるへし、軍鑑は荷擔の説多くして、虚實半せり、味へ讀へき書なり、, を討死せしとなり、軍鑑十二に、左衞門尉衆斗鑓を合せすして崩れたりともあり、此説, のみを擧て、一智公朝掛の御軍略を注さす、十二月廿三日、穴山か備三州勢と戰ふよし, ○信正、同勝頼の新手を以て平手監物・酒井忠次の手を討に、此手より崩立て、終に平手, 元龜三年十二月二十二日, 甲陽軍鑑ハ, 誤多シ, 三二

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注記 (18)

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