『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.76

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つゐに討死す、時に歳三十八、, て兩人おなしく馳て、又首を得たり、しかれとも此軍利あらさるゆへ、弟一齊を呼て, 元年、姉川合戰の時、黒〓の兵とたゝかひ、其首を得たり、同三年、三方原合戰に疾馳, て首をとり、鳥居四郎右衞門尉をたつぬる處に、鳥居もまた首級を得たり、こゝにをい, いゝけるは、汝は此道の案内者なり、大權現に供奉し、嚮導となりて、濱松の城に入た, 彼鎧を着し、篠の指物をさしけるか、鎧をけかさん事をきらひ、本道より進いつ、大權, りて死す、正義これをかへり見すしてすゝみ、首級を得て歸、此日の一番首なり、元龜, 此鎧をけかすましといふ、人みな其悋嗇をわらふ、此時田畷をへたてゝ矢軍あり、正義, せ給ふ、同八年、武田か兵參州山家三方地に出張す、これよりさき正義あらたに鎧をつ, 現これを見たまひ、歩卒三人をつかはして、制しとゝめたまふ處に、二人は鐵炮にあた, てまつるへし、われはのこりとゝまり、戰死せんと謂をはりてすゝむ、敵數人を斬て、, くる、莊飾たくひなし、これを着して大權現に〓したてまつり、我縱死すといふとも、, 七騎大權現にむかふ、此時一齊はセよりてすゝむ、敵一人を斬おとす、馬もまた疵を, 一齊同年十二月、三方原合戰に味方利をうしなふて引しりそく、こゝにをひて武田か兵, 葬地ハ三河入野村崇源院ト見ユ, ○寛政重修諸家譜ニ、法名ハ大忠、, 姉川合戰ニ, 出陣ス, 成瀬一齊ノ, 戰功, 元龜三年十二月二十二日, 七六

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  • 葬地ハ三河入野村崇源院ト見ユ
  • ○寛政重修諸家譜ニ、法名ハ大忠、

頭注

  • 姉川合戰ニ
  • 出陣ス
  • 成瀬一齊ノ
  • 戰功

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 七六

注記 (22)

  • 521,688,61,751つゐに討死す、時に歳三十八、
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