『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.221

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

〔參考〕, 援助せん爲めなるか、又は都を悉く破壞せん爲めなるか、明ならずとの報傳りたり、高山, 〔日本耶蘇會年報〕(歐文材料第四號譯文), 子、信長ニ降ルコト、本年十二月二十六日ノ條ニ見ユ、, 衆及び堺の一向宗徒、合せて二万人進軍して、當地より六レグワの地に在り、但し公方樣を, 殿之を聞き、都は再び危險に〓したれば、直に予を高槻の城に迎へんと欲し、去る土曜日, 二十七日ノ條ニ、義昭、信長ノ質子ヲ斥ケ、之ト絶ツコト、本月七日ノ條ニ、久秀父, パードレ・フランシスコ・カブラルに贈りし書翰、, ○松永久秀、細川昭元ヲ攝津中嶋城ニ攻メ、昭元、和泉堺ニ敗走スルコト、本年二月, 附、都發、パードレ・ルイス・フロイスより、, 家財を運搬する爲め、高槻より予が許に馬二頭と男十五人を送り、且, 一月廿三日、三好・松永御赦免ニテ、以同名御禮申入候、人數山城所々・宇治ニ陣取、, 一五七三年五月二十七日一, 事情此の如くなりし時、タイブ殿・三人衆、大坂・根來, 〓年代記抄節〕, 四年四月十五日二當ル、, ○五月十六日、即チ元龜, ○元龜四年四月二, ○上下略、信長、義昭ト和シ、近江ニ出陣, 十六日二當ル, スルコト二カヽル、四月七日ノ條ニ收ム, ○内閣文, 庫所藏, 義繼等兵ヲ, 京都ニ進ム, 天正元年三月六日, 二二一

割注

  • 四年四月十五日二當ル、
  • ○五月十六日、即チ元龜
  • ○元龜四年四月二
  • ○上下略、信長、義昭ト和シ、近江ニ出陣
  • 十六日二當ル
  • スルコト二カヽル、四月七日ノ條ニ收ム
  • ○内閣文
  • 庫所藏

頭注

  • 義繼等兵ヲ
  • 京都ニ進ム

  • 天正元年三月六日

ノンブル

  • 二二一

注記 (27)

  • 1199,884,71,183〔參考〕
  • 545,715,58,2190援助せん爲めなるか、又は都を悉く破壞せん爲めなるか、明ならずとの報傳りたり、高山
  • 1089,717,71,1176〔日本耶蘇會年報〕(歐文材料第四號譯文)
  • 1317,828,56,1326子、信長ニ降ルコト、本年十二月二十六日ノ條ニ見ユ、
  • 656,722,57,2187衆及び堺の一向宗徒、合せて二万人進軍して、當地より六レグワの地に在り、但し公方樣を
  • 435,718,58,2183殿之を聞き、都は再び危險に〓したれば、直に予を高槻の城に迎へんと欲し、去る土曜日
  • 1426,835,56,2066二十七日ノ條ニ、義昭、信長ノ質子ヲ斥ケ、之ト絶ツコト、本月七日ノ條ニ、久秀父
  • 878,837,53,1214パードレ・フランシスコ・カブラルに贈りし書翰、
  • 1537,826,56,2077○松永久秀、細川昭元ヲ攝津中嶋城ニ攻メ、昭元、和泉堺ニ敗走スルコト、本年二月
  • 989,1771,54,1098附、都發、パードレ・ルイス・フロイスより、
  • 325,1210,59,1689家財を運搬する爲め、高槻より予が許に馬二頭と男十五人を送り、且
  • 1647,749,56,2066一月廿三日、三好・松永御赦免ニテ、以同名御禮申入候、人數山城所々・宇治ニ陣取、
  • 986,846,62,589一五七三年五月二十七日一
  • 769,1549,55,1354事情此の如くなりし時、タイブ殿・三人衆、大坂・根來
  • 1751,721,70,406〓年代記抄節〕
  • 311,719,39,449四年四月十五日二當ル、
  • 353,718,42,479○五月十六日、即チ元龜
  • 1014,1432,42,335○元龜四年四月二
  • 794,718,42,832○上下略、信長、義昭ト和シ、近江ニ出陣
  • 972,1430,40,267十六日二當ル
  • 751,726,40,777スルコト二カヽル、四月七日ノ條ニ收ム
  • 1788,1194,39,168○内閣文
  • 1743,1193,41,124庫所藏
  • 796,351,39,211義繼等兵ヲ
  • 751,352,40,209京都ニ進ム
  • 227,884,42,341天正元年三月六日
  • 229,2416,43,109二二一

類似アイテム