『大日本史料』 10編 16 天正元年4月~同年7月 p.341

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允義直とめしたまふ、義昭公乾かたちに數日へさせたまへとも、取立る人もなし、, 荒木村重屬信長、并村重討讐敵事, 子細有て暇を乞、古郷若江へ歸り、よし詰の籏下になり居けるか、義昭公の有さまを, かゝ思ひけむ、城中へもいれさりけるに、同き若江の住人乾太郎右衞門定直といふも, 義昭公忽敗軍して、河州若江の庄へおちゆき、左京太夫よし詰をだのみ給へとも、い, 勞しく思ひ、我館へ請待しけり、義昭公定直か先祖をたつねたまひて、定直を乾内藏, の、先年よし冬都より阿州へ下向之時、つき下りしものなり、義冬周防へ下向之時、, 一、義昭を都にすへ置れしか、信長と不和になりて、天正のはしめ城州宇治にて合戰有、, 御謀反有テ、信長上洛有ケレバ、村重モ早速上京シテ、二條ノ御所・槇嶋合戰ニモ軍功, 〔陰徳太平記〕, ヲ建ケル間、甚感賞セラレケリ、其後信長歸陣御座ケレバ、村重モ本國荊棘木ノ城ニ歸, 〔阿州將商記〕, 斯テ公方・信長御和睦有テ、同五月信長歸陣有ケルニ、又無程七月ニ, ケリ、, ○上略、本年三月二, 十九日ノ條ニ收ム、, 五十, 略, ○下, 義繼ノ部下, 中ニ入レズ, 荒木村重ノ, 昭ヲ若江城, 乾定直義昭, トノ説, 戰功, ヲ自第ニ迎, 三好義繼義, フトノ説, 天正元年七月十八日, 三四一

割注

  • ○上略、本年三月二
  • 十九日ノ條ニ收ム、
  • 五十
  • ○下

頭注

  • 義繼ノ部下
  • 中ニ入レズ
  • 荒木村重ノ
  • 昭ヲ若江城
  • 乾定直義昭
  • トノ説
  • 戰功
  • ヲ自第ニ迎
  • 三好義繼義
  • フトノ説

  • 天正元年七月十八日

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  • 三四一

注記 (31)

  • 305,718,80,2098允義直とめしたまふ、義昭公乾かたちに數日へさせたまへとも、取立る人もなし、
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  • 549,715,84,2191子細有て暇を乞、古郷若江へ歸り、よし詰の籏下になり居けるか、義昭公の有さまを
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