『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.914

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ひ、折々に讒をかまへ候と也、, 野の土民也、彼をにくむ者も多候哉、其比の落書に、, こ達して御家人と被成候、其時の御意こ、上野は當家に對して敵なれは、家, 號を改めよと被仰、郡主馬名字をあたへ、郡勘右衞門と名乘候也、, 是よりして、彌清信と御不和にて、漸々に御前も疎く成、清信は時をうかゝ, 山と而誅さられ候、秀政は、昭光か聟なる故、秀政か子を育み置、後に忠興君, と云者を、清信か養子とさらる、後上野大和守秀政と云、此者元は山城國駒, 愛、其上男子なけれはとて、一乘院におはしましける時ゟの寵童堀孫八郎, 考こ、一書こ、藤孝君の御狂歌と有もいぬあし、, 山城の駒野あたりの瓜つくり上野になりてふらつきにけり, 南都にて義昭公へ近仕、寵愛のあまり、後に上野民部少輔信孝か養子と, 成、上野中務少輔清信と云、彼をにくむ者多候而、右之狂歌有、, 此秀政、重々の非儀有なる故、義昭公御法體已後、槇島玄蕃昭光と仰て、泉水, 一書、上野清信は、山城國駒野の地下人成しか、童形の時堀孫八郎と號し、, 義昭公、清信を愛さられ候譯は、清信に女子有、甚美にして、義昭公、是を御寵, 落首, テノ説, 清信ノ出, 身ニ關ス, 贊政ノ末, 路ニ就イ, 清信秀政, ヲ養子ト, ストノ説, ル説, 永祿十二年二月二日, 九一四

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  • 落首
  • テノ説
  • 清信ノ出
  • 身ニ關ス
  • 贊政ノ末
  • 路ニ就イ
  • 清信秀政
  • ヲ養子ト
  • ストノ説
  • ル説

  • 永祿十二年二月二日

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  • 九一四

注記 (27)

  • 1664,669,55,851ひ、折々に讒をかまへ候と也、
  • 1203,666,58,1511野の土民也、彼をにくむ者も多候哉、其比の落書に、
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