『大日本史料』 10編 16 天正元年4月~同年7月 p.365

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

て、家久に渡り合ふ、家久是を見て、汝は雄男の者也とて、受付て甲の鉢を打碎かる、, は家久の勢に、川内表の勢を加へ堅らる、都合二千騎をは二手に分つてをかれたり、大, 寸の有馬作の大太刀をするりと拔て、南無大將摩利支天、愛岩山の太郎坊・大天狗に小, すな打と、下知をなす、家久の御内なる東郷掃部助と名乘て、散々ニ切合ひ、其場に即, 討死す、家久是を御覽して、懇に會釋ひ、郎等數多打セては惡りなんと思めし、三尺五, 天狗、家久か太刀先を能守らせ給へと念して、縱横に捲り立、八ツ花形に散々に切給へ, へは、時刻は日出の頃なるに、山連きに立上る秋の節なる朝霧か、もやの煙かと見る處, 手は垂の口に出合ひ、木脇形部左衞門・帖佐淡路守・梅木梅介杯高名す、其外の人々軍, 何かは忍へきなるに、あなたこなたと案するを、家久急と見給ひて、あはや敵そ、あま, 二、三百計陣中へ切登り、護摩所の小路に馳出る、若者共の到こは、陣屋に火を放なは、, 床を迦さセ給ひて、手廻三拾騎計相具して、御本陣を行過き、護摩所の小路に打出見給, は、此太刀風に恐れて、左右にはつとそ退にける、爰ニ肝付の住人に河南安藝守と名乘, 勞セらる、夫ゟ敵手だてもなく引退き、定て時宜を待ぬらん、家久此樣を見給ひて、牀, 持セて、三千計寄來る、大手は平田美濃守・同左馬介・帖佐衆中相具して堅らる、搦手, 天正元年七月二十五日, 三六五

  • 天正元年七月二十五日

ノンブル

  • 三六五

注記 (16)

  • 309,677,67,2213て、家久に渡り合ふ、家久是を見て、汝は雄男の者也とて、受付て甲の鉢を打碎かる、
  • 1787,693,69,2244は家久の勢に、川内表の勢を加へ堅らる、都合二千騎をは二手に分つてをかれたり、大
  • 673,676,67,2244寸の有馬作の大太刀をするりと拔て、南無大將摩利支天、愛岩山の太郎坊・大天狗に小
  • 921,682,67,2249すな打と、下知をなす、家久の御内なる東郷掃部助と名乘て、散々ニ切合ひ、其場に即
  • 798,677,66,2248討死す、家久是を御覽して、懇に會釋ひ、郎等數多打セては惡りなんと思めし、三尺五
  • 551,675,66,2240天狗、家久か太刀先を能守らせ給へと念して、縱横に捲り立、八ツ花形に散々に切給へ
  • 1290,692,68,2242へは、時刻は日出の頃なるに、山連きに立上る秋の節なる朝霧か、もやの煙かと見る處
  • 1661,686,73,2254手は垂の口に出合ひ、木脇形部左衞門・帖佐淡路守・梅木梅介杯高名す、其外の人々軍
  • 1046,682,65,2248何かは忍へきなるに、あなたこなたと案するを、家久急と見給ひて、あはや敵そ、あま
  • 1165,690,66,2261二、三百計陣中へ切登り、護摩所の小路に馳出る、若者共の到こは、陣屋に火を放なは、
  • 1410,686,70,2251床を迦さセ給ひて、手廻三拾騎計相具して、御本陣を行過き、護摩所の小路に打出見給
  • 431,680,67,2242は、此太刀風に恐れて、左右にはつとそ退にける、爰ニ肝付の住人に河南安藝守と名乘
  • 1530,687,70,2251勞セらる、夫ゟ敵手だてもなく引退き、定て時宜を待ぬらん、家久此樣を見給ひて、牀
  • 1918,687,69,2251持セて、三千計寄來る、大手は平田美濃守・同左馬介・帖佐衆中相具して堅らる、搦手
  • 195,853,42,429天正元年七月二十五日
  • 188,2396,41,120三六五

類似アイテム